小笠原諸島(東京都)の海底で発生し、1都9県で震度4の広域地震をもたらしたプレート型地震は、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震を思い出させる。
この地震による死者 15,891人、行方不明者 2,584人、負傷者 6,152人。地震の規模を示すマグニチュードは9.0で日本の観測史上最大。
東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらし、戦後最悪の自然災害となったが、想定できなかった巨大地震。
あらためて2011・3・11海溝型地震を思い出してみる必要がある。
■この地震は、2011年3月11日14時46分18.1秒、牡鹿半島の東南東約130km付近の太平洋(三陸沖)の海底、深さ約24kmを震源として発生した。
太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域(日本海溝付近)における海溝型地震で、震源域は岩手県沖から茨城県沖にかけての幅約200km、長さ約500km、およそ10万平方キロの広範囲にわたった。
地震の規模を示すマグニチュードはMw9.0で、大正関東地震(1923年)のMj7.9を上回る日本観測史上最大であるとともに、世界でもスマトラ島沖地震(2004年)以来の規模で、1900年以降でも4番目に大きな超巨大地震であった。
地震によって大規模な津波が発生した。最大で海岸から6km内陸まで浸水、岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では津波の高さが8m-9mに達し、明治三陸地震(1896年)の津波を上回る最大溯上高40.1m(岩手県大船渡市)を記録するなど、震源域に近い東北地方の太平洋岸では、高い津波が甚大な被害をもたらした。
津波は関東地方の太平洋岸でも被害をもたらしたほか、環太平洋地域を中心に世界の海岸に達した。
また、宮城県北部で最大震度7、岩手県から千葉県にかけて震度6弱以上を観測するなど広範囲で強い揺れとなり、関東地方の埋立地で大規模な液状化現象が発生した。
一方東北太平洋岸では、地盤沈下により浸水被害が長期的に続いている。余震も過去例に無いペースで発生したうえ、通常の余震域外でも地震活動が活発化している。
津波、液状化、建造物倒壊など、東北の岩手県、宮城県、福島県の3県、関東の茨城県、千葉県の2県を中心とした被害は大きく、この地震による死者・行方不明者計約1万8,500人の大半は東北の3県が占めた。
また、発電施設被害による大規模停電や一連の震災により、日本全国および世界に経済的な二次被害がもたらされた。(ウイキペデイア)
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