19570 書評『イスラム国 残虐支配の真実』   宮崎正広

■日本人女性ジャーナリスト、単身で危険地帯へ潜入取材をくりかえした 密輸と殺人と武器密売のペシャワール危険地帯にはブルカを着込んでの決死行

<大高未貴『イスラム国 残虐支配の真実』(双葉社)?

本書を読んでいて、思わず手に汗握るサスペンスが展開され、緊張感がみなぎる。四年間に亘った、突撃取材によるイスラム過激派の現実は、いかなる大手マスコミの報道や、「事情通」の分析や、したり顔した「識者」の解説や、テレビの画像より迫力に富んでいる。

凄いルポルタージュが、女性ジャーナリストによって出現した。現場に足を運ばないで安全地帯から報道する某新聞や某テレビの特派員は、本書の出現にたじろいだことだろう。

著者の大高未貴さんは評者(宮崎)の知己でもあるが、知っている範囲での彼女はと言えば、しとやかな淑女であり、優雅なほほえみと慎み深い謙虚さを示す典型的な大和撫子である。彼女のテレビ番組にも何回か呼ばれたが、突撃型な姿勢は微塵もない。

ところが、いったん戦場へ赴くや、どこから出てくるのだろう、その旺盛な取材のバイタリティと危険地帯と知りながらの突撃姿勢。「真実を見よう」、「本当のことを知りたい」というジャーナリストとしての情熱、その想像外のエネルギーに感心した。しかも日本人女性が単身で乗り込むのだ。

大高さんは銃撃戦の続くガザ地区に、密輸と誘拐と殺人の無法地帯のペシャワールから山賊の跋扈するカイバル峠を経て、残虐と暴力しかない無法国家のアフガニスタンへ潜入した。

またタリバンの背後関係をパキスタンに求め、そしてまた西側が制裁するイランへ、謎の国で女性の入国を認めなかったサウジアラビアや内戦が激化しているイエーメンに飛ぶのである。

倫敦で発行される英字雑誌『DABIO』が西側に移住したムスリムの若者に広く読まれ、ISISは、このメディアを通じて若者に「十字軍(ヨーロッパ)との最終戦争に備えよ」というメッセージを発しているという。評者は、こういう雑誌の存在を知らなかった。

カブールで彼女が指定され案内された「巨大なホテルは宿泊客は私ひとり。ロビィに裸電球が一つともっているだけですべてが薄暗い。(中略)部屋の窓は銃弾でひび割れ、しーんと静まりかえった夜、ひとり机にむかっていると、恐怖がひしひしと迫ってくる」。ガイドは「あのホテルはジャーナリストの牢獄」と比喩した。

「死の世界」と言われるカイバル峠で、密輸と麻薬でしこたま儲けた一族が住む豪邸が並ぶ不思議なルートを辿る彼女は、この道をタリバンへの志願兵はカブールへ難民はペシャワールへ向かっていることを目撃する。

アフガニスタン難民は極貧と粗末なキャンプ、電灯も水道もないところへ押し込められ、人口は二百万とも三百万とも言われる。

女性等は明日への希望もないのに子だくさん、そして難民キャンプで育った無知の子供らが簡単に洗脳されて、「聖戦」にはせ参じるのだ。

彼女は外国人ジャーナリストが二の足を踏むペシャワールのもっとも危険な難民集落へ「無許可潜入を決意した」。身分証の必要のない「アフガン難民に扮していけば」「検問所を突破できるという情報」を元に、「ブルカ」をかぶり、意図的にぼろぼろの服装をして、ついに潜入し、アフガニスタンの女性等にインタビューに成功した。

イランの情報通からは「2015年夏に米国は対イラン経済制裁を解くだろう」という予測が早くから語られていた事実を現地取材で知ったという。

そしてその通りになった。

評者はベトナム戦争を取材し、イスラエル、パキスタンのペシャワールからカイバル峠を取材した。イラン・イラク戦争ではファオ半島の戦闘現場にも行った。

死体がごろごろと転がっていた。一眼レフ二台、望遠レンズをかかえて走る体力がまだあった。それゆえに大高さんが突入した現場の雰囲気はよく理解できる。

バグダットのホテルはシャワーをひねるとどっと赤さびが崩落してきた。そのあとはスィッチをどうひねっても熱湯の調節が出来なかった。これがシェラトンホテルだった。

エルサレムのヒルトンホテルでの部屋は1313号室だった。ホテルの前でアラブ人とユダヤ人がののしりあっていた。

ベトナムでは開高健らが宿泊したマジェスティックホテルで夜中は砲弾の音が止まず、時折ドシンと砲弾が壁に当たる音響、ホテルが揺れた。

そして還暦を超え、重いカメラを担いで走れなくなり、体力が衰え、評者は戦場へいくのは止めた。

大高さんはまだまだ若いから、何処へでもまた飛び出して行くのだろう。

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