19572 書評『戦後七十年の真実』    宮崎正広

■歴史上、もっとも大事な『古事記』、『日本書紀』を教科書では重視せず 偽書もしくは改竄の『魏志倭人伝』を重宝した戦後歴史教科書の愚昧

 
<渡部昇一『戦後七十年の真実』(育鵬社)>

「歴史の振り子」は、いま何処に位置しているのだろう。十四歳で終戦を迎えた著者は、自らの歩みとともに戦後七十年を振り返り、「戦後」とはいったい何だったのかを問う。

とくに終戦後の日本はいかに変貌し、主権回復のあとも、高度成長に酔っぱらっている裡に国家国民としてもっと大事な価値観を失ってしまったのではないか。

その第一は歴史が方向性を見失ったことで、戦前まったく取り上げられることさえなかった『魏志倭人伝』が、意図的に日本を貶めるため高く持ち上げられたことである。シナは歴史を平気で改竄する国であり、「『魏志倭人伝』がまったく信用できないことを(戦前の日本人は)百も承知していた」。

ところが、戦前のまともな歴史教科書には無視されてきたことが戦後の歴史教科書に大書される。そもそも北九州の豪族に過ぎない卑弥呼は噂話でしかなく、金印など、「日本の朝廷がもらった証拠は何もない」のである。

その一方で、驚くべきことが戦後の価値観喪失時代の歴史教科書でおきた。我が民族の神話に基づく歴史物語『古事記』と『日本書紀』が教科書から「排除されてしまった」のだ。

このための自信喪失状況がまだ回復されておらず、そもそも「孫が空白」という空恐ろしい現実を前にして、将来真っ暗な日本の人口動態をみていると、楽観主義は禁物である。同時に外国人労働者や移民を促進して穴埋めするなどとする愚かな議論は排撃しなければならない。

さて本書の肯綮と思われるのは渡部氏の次の指摘である。

すなわち日本の「国体は五回の変化がある」という箇所である。
 

第一回の国体の変化は、「仏教を公認した用明天皇」の時代で、国体の体質が変わった。しかし「神道を廃止したわけでもなく神道ともども仏教をみとめることにした」

第二回目は「源頼朝が鎌倉幕府を興したとき」であり、「実質的な統治者の任命権を武家が握った」

第三回目は「北条泰時の承久の乱」で「次の天皇を撰ぶとき幕府の意向に反しない人を選ぶシステムを導入した」

第四回目は「明治維新」であり、明治憲法を定めた。国体そのものに変化はなかった。

第五回目は指摘を待つまでのないが、「敗戦」だった。

しかし天皇伝統は廃絶されず、「体質が変化」したのである、と渡部教授は結論されている。

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