■東京・調布に小型機が住宅街に墜落、3人死亡
調布飛行場は戦時中には陸軍の基地だった。その隣接地に私の中学の農場があって、麦やサツマイモ、ジャガイモなどの植え付けや刈り入れでよく動員で行った。
農作業の手を休めて調布飛行場から飛び立つ友軍機の訓練飛行を見たものだ。B29の空襲にも出くわしたこともあるが、ちっぽけな調布飛行場などは相手にせずに大編隊は都心めざして飛んでいく。
調布飛行場から戦闘機が邀撃で飛び立つが、高々度を数十機で飛ぶB29の大編隊には歯が立たない。もともとわが軍の単発戦闘機には高々度飛行向けの過給機エンジンが装備されていない。
それが米空母から飛び立つグラマン戦闘機が空襲に加わるようになると様相が変わってきた。
グラマンは調布飛行場のような基地にも機銃掃射をかけてくる。隣接地の農場にいる中学生たちは揃いのカーキ色の制服だから、兵士と間違えられて銃撃される恐れがある。
軍事教官からグラマンの機銃掃射には、逃げてはいけない。グラマンの火線に向かって走り、直前に身を横に投げろと教えられた。
グラマン空襲で警戒警報が出た時のことだ。調布飛行場からいつになく偵察機まで飛び立つ。格納庫の友軍機が全機が大空目がけて邀撃に向かう様は初めて。胸を躍らせて友軍機の飛び立つ轟音に聞きほれた。
「今日ほど胸を躍らせた迎撃はなかった」と軍事教官殿に報告したら
「偵察機まで飛び立ったのは”空中待避”だな。調布は厚木基地と違って迎撃用の戦闘機は少ない」と言う。
疎開した信州でも上田飛行場にグラマンが攻撃をかけてきた。熊谷の陸軍飛行学校を出た軍事教官の陸軍中尉殿が「空中待避!」と命令した。
上田中学の悪童たちはグラマンが飛び去ってから、「空襲・待避と言われても仕方なかんべ!」と陰口をたたいた。そして軍事教官につけたあだ名が「空襲待避殿」
■26日午前11時ごろ、東京都調布市富士見町1丁目の住宅地に、離陸直後の小型プロペラ機が墜落して大破し炎上した。警視庁によると、小型機には5人が搭乗しており、パイロットの男性ら2人と、住宅にいて巻き込まれた女性1人の計3人が死亡した。ほかに小型機の男性3人、住宅の女性2人がけがをした。事故で住宅1棟が全焼、8棟が一部を焼損した。
小型機を管理する「日本エアロテック」(調布市)によると、機長は横浜市の川村泰史さん(36)。事故時、誰が操縦していたかは不明。警視庁は業務上過失致死傷の疑いもあるとみて原因を捜査する。運輸安全委員会は航空事故調査官3人を派遣した。(ロイター)
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