【広島】近藤紘子(旧姓:谷本)さんは毎年、ところどころ破れた小さなピンク色の服を持って生まれ故郷を旅する。それは近藤さん一家が70年前、世界初の原爆投下を生き残った日に近藤さんが着ていたものだ。
近藤さんは当時、生後わずか8カ月だった。近藤さんは8月6日の広島原爆の日の時期に行われる語り部ツアーで、自宅を破壊し何十年も近藤さんを悩ませている惨状を学生たちに語っている。
10代の頃、裸でステージの上に立ち、放射線の人体への長期的影響の兆候を確認しようとする医者や科学者からこと細かくじろじろ見られたとき、どれほどの屈辱を感じたか。あるいは、米国人の婚約者の親族が被ばくした近藤さんは子どもが産めないと考えたため、婚約者に結婚式の直前に見捨てられたときの思い。
近藤さんは一般の米国人についても語る。彼らは被爆者のために食糧を送り、家を建て、戦後何十年にもわたって「精神養子縁組」でつながった広島の息子、娘たちの誕生日に小切手を送り続けた。(米ウオールストリートジャーナル)
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