19702 塩水に漬けた戦前の信州リンゴ   古沢襄

少年時代の大半を母の実家があった信州・上田で過ごしたので、リンゴは酸味が勝るものだと思っていた。母に言わせると酸味がなくなった信州リンゴは”ボケ・リンゴ”。

それが東北人の父と一緒になったのだから「リンゴ談義」はややっこしくなる。もっとも「男は食べ物のことを言うものではない」を信条としている古沢元。おまけに妻の古沢まき子にめっぽう惚れていたから、家庭では妻の言いなり。

それでも「本当のリンゴの味はこんなものではない」と目で一人息子に語りかけるのだが、酸味が勝る信州リンゴをパクパクかじっている私には分かる筈がない。

それがある日、父が東北出張に出ることになった。帰りのお土産は何と青森リンゴがどっさり。口でアレコレ言って妻や息子と気まずい思いをするよりは、本当のリンゴの味を実物教育で知って貰う深謀遠慮だったのだろう。

「青森リンゴ?」と母。
「それは塩水には漬けないのよ」と父は慌てる。

一口食べてみた母は

「何よこれ、ボケ・リンゴじゃない。青森と東京を汽車で持ってきたから、その間にボケてしまったのかしから・・・」

青森リンゴを回収して砂糖を入れたリンゴ・ジャムを作るために台所に立った母。父は憮然としている。私は本当のリンゴ味である青森リンゴを食べ損なった。

いまでは酸味がある信州リンゴは滅多に見つけることはできない。私の親戚・縁者が営むリンゴ園もミツ味の甘い信州リンゴが主流となっている。戦後70年、日本全体が”甘味好み”になってしまった。

母は街で酸味のある信州リンゴが手に入らなくなると、あっさり宗旨替えして冷えた”桃党”になった。戦後は氷を買ってきて、氷水に漬けた桃が食卓に出た。

母に言わせると宗旨替えではない。桃は長野県など降水量の少ない盆地で栽培されている。八月終わり、秋の季節に入るとこれから甘い桃が市場に出てくる。「桃の実」は秋の季語である。

もっとも私が住む太平洋岸の茨城県は果物の産地としても知られる。日本屈指の農業地帯で、県土の大半を平地が占め、その多くが農地。メロンの生産量は全国1位。

県遺族会の会長氏は梨農園の経営者、シベリアの父の墓でお経をあげて貰ったお礼の意味で県央の梨農園を見学に行った。壮大な梨農園で驚いたが、早速、一〇箱注文して親戚・知人に贈って喜ばれた。

茨城県産の果物はメロン、梨だけでない。大玉すいか、イチゴ、ブドウ、栗など種類も豊富なので、いつしか私も地場の果物にすっかりはまってしまった。リンゴ、桃論争もしばしお預け。

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