19704 書評『王朝から国民国家へ 清朝崩壊百年』   宮崎正広

■結局、辛亥革命とは何だったのか? 孫文を過大評価する日本人の大いなる誤解 

張作霖爆殺はやっぱりコミンテルンの仕業だった

<楊海英、宮脇淳子ほか『王朝から国民国家へ 清朝崩壊百年』(勉誠出版)>

清朝崩壊百年というからには2011年刊行、専門家五名の討論会と、それぞれ個性豊かな論文が編まれ、総合的に中国の近現代史の本質を把握しようとするアカデミックな、それでした歴史解釈に極めて斬新な視点から斬り込んだ力作がそろう。

こういう良書が出版されていたことをつい最近まで知らなかった。

楊海英氏は、いまは『ニューズウィーク』日本語版にも定期コラムを書かれていて、大いに注目されている論客である。

また宮脇淳子氏は精力的に満洲、蒙古の歴史を、中世から現代史、とりわけチンギスハーン以来の世界史というパースペクティブのもとに、次々と著作を発表されるベストセラー作家でもある。

ほかに馬場公彦、村田雄二郎、劉燕子の三氏が所論をのべている。

和気藹々の討論にみえて、実は議論が真っ逆さまにかみ合わない論点がいくつかあるが、まず、この本の題名である。

孫文をもって国父とする解釈は、じつは中国人の多くが受け入れていない。中華民国百年というのはでっちあげであり、孫文の革命政権なるものの実態は当時、南シナの四分の一の地域で成立しただけの、しかも西洋かぶれの知識人が興した「地域政権」でしかなく、もっと大胆な見方をすれば、「清朝崩壊百年」とみたほうがよいと楊海英氏がいう。

中華民国が「編安王朝」だという意味は、「北方民族の契丹人や燎朝、女真人の金朝の圧迫から逃れて、中国大陸の南東僻地に存命をはかった小さな南宋」を意味し、文化は高くても国防を怠ったため元朝に滅ぼされる。「中華民国」も、そうして意味では逆に百年も長らえていることは珍しいとみる。

日本では「辛亥革命百年」を記念してのシンポジウムが華やかだったけれど、孫文を過大評価した歴史観の名残りであり、「辛亥革命中心史観」で歴史を語っていると、「中国とそれ以外の世界の形成がみえてこなくなる危険性があると危惧しています。寧ろ「清朝崩壊百周年のほうが適切であろう」と楊海英氏は編集の意図をかたる。

対して、この銘名に異論をとなえるのが宮脇淳子氏である。

「第一に万里の長城の外側の狩猟民族出身の満州人が建てた清朝が、中華帝国最後の王朝といえるのか」 

「第二に清朝は1911年の辛亥革命で崩壊したのではなく、翌1912年二月に皇帝が退位して平和裡に譲位したのである」こと、

そして第三に「中華民国も中華人民共和国もはたして国民国家といえるか」という視点から言えば、特集のタイトル名はおかしくないかと反論するのである。

 なぜなら「辛亥革命は、清の南方の十四省が独立を宣言しただけで、首都である北京を囲む直隷省や、河南省、山東省、甘粛省、さらに日露戦争後の1907年に満州にできたばかりの奉天省、吉林省、黒竜江省、1884年に出来た新彊省は、清朝側についた」からである。そのうえ、モンゴルとチベットは「藩部」と呼ばれ、「内地」ではなかったのである。

司馬遷以来の「正統史観」だけを引き継ぐ現王朝(中国共産党王朝)は、それゆえに日本が建てた「満州国」は「偽満州国」と言いつのり、台湾は「中国の一部」と獅子吼し、チベット、モンゴル、ウィグルの民を「中華民族」だと言って、実際は植民地化して資源を詐取している。

通読して、じつに面白かったが、楊海英氏が『大東亜戦争』を「アジア太平洋戦争」と何気なく、不思議な語彙を使っている箇所があった。『太平洋戦争』は米国GHQの押し売り史観で排撃すべきだが、大東亜戦争は日本の命名であり、それを使いたくないとすれば、せめて『第二次世界大戦のアジア戦域』というような表現が適切ではないかと思った。
 

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