■読売新聞編集委員 伊藤俊行氏の論評
無投票での安倍晋三総裁(首相)の再選は、自民党の衰退の表れか、それとも、成熟の結果か――。9月8日に告示された任期満了に伴う自民党総裁選が、出馬を模索した野田聖子・前総務会長の推薦人が集まらず、無投票で終わった背景には、二通りの見方が可能だ。そのどちらに、より説得力があるかを探ることで、来年夏の参院選、さらにはそれ以降の自民党の消長を占うことができる。
■任期満了での無投票再選は「41分の3」
話し合いや前総裁による指名を含め、41回を数える自民党の総裁選びの歴史の中で、現職総裁が敗れたのは、1978年に福田赳夫氏(当時、首相)が予備選で大平正芳氏の後塵を拝し、本選を辞退したのが唯一の例だ。
1995年の河野洋平氏や2012年の谷垣禎一氏のように、現職が総裁選への立候補を断念したケースもあるが、基本的には圧倒的に現職有利の構図がある。
それでも、チャレンジャーは出てくる。現職総裁が無投票で再選された例は、今回を含め7度しかない。そのうち4度は、前総裁が任期途中で退陣したため、現職総裁の任期が前総裁の「残り任期」分しかなかったパターンだ。
選んだばかりの総裁にチャレンジすることへの躊躇ちゅうちょや、複数候補の選挙で党財政に負担を与えたくないという台所事情、なにより、現職総裁の業績を評価するには、就任から時間が十分に経過していないという要因で、比較的スムーズに無投票再選の流れができた。
1980年の鈴木善幸氏(前総裁・大平正芳氏)、89年の海部俊樹氏(同・宇野宗佑氏)、93年の河野氏(同・宮沢喜一氏)、2001年の小泉純一郎氏(同・森喜朗氏)が、これに該当する。
自身の任期を全うした現職総裁が無投票で再選されたケースは、今回を除くと、過去に2度しかない。1984年の中曽根康弘氏と、97年の橋本竜太郎氏だ。
当時の総裁任期は2年、最長2期までで、現在(3年、2期まで)よりも短かったとはいえ、業績評価のための十分な時間を経たうえでの総裁選が無投票だったということは、「現職総裁の路線に誤りなし」という党内のコンセンサスの表れのようにも見える。
■だが、実態は違った。
中曽根氏の場合、自民党の一部が野党も巻き込んで二階堂進・副総裁を擁立しようと暗躍し、これを抑え込もうとする自民党主流派との激しい駆け引きが総裁選告示直前まで続いた。
中曽根氏の政権運営、党運営に対する不満はくすぶっていたものの、二階堂氏が最終的に出馬を断念したことで、別のチャレンジャーが参入する余地はなく、中曽根氏の無投票再選が決まった。
橋本氏は、連立政権を組んでいた社会党党首の村山富市氏が96年はじめに首相を辞し、後継首相に就いて1年半というタイミングで総裁選を迎えた。
しかも、96年10月の衆院選で自民党は復調し、社民党や新党さきがけの閣外協力を得ながらも、3年ぶりに単独政権に戻ったばかりだったから、橋本氏の業績に対する評価以上に、「せっかく首相の座を取り返したのだから、しばらく休戦」という党内の支配的な「空気」が、無投票再選をもたらした。
では、安倍氏の無投票再選は、どう読み解いたらいいのだろうか?
■次のリーダー不在とフォロワーシップ
今回の無投票再選は、2012年に民主党から政権を奪還した安倍晋三首相が、2014年12月の総選挙でも自民党大勝を導いたばかりだという巡り合わせが、1997年の橋本竜太郎氏の例に似ている。
異なる点は、(1)安全保障関連法案という国論を二分する難しい法案を審議している通常国会の開会中に総裁選を行わなければならなかったという特殊事情(2)現職総裁に対抗しうる政治家の不在(3)フォロワーシップ重視の政治姿勢の広がり――が挙げられる。
無投票の表面的な説明としては(1)で足りるが、(2)と(3)を見ることで、冒頭に掲げた「無投票再選は自民党の成熟の結果か、衰退の表れか」という問いの答えも得られる。
(2)は、自民党の人材難と政策幅の狭まりを意味している。300人超の国会議員がいるのに、総裁選出馬に必要な20人の推薦人を集められる政治家がいないというのは、「ポスト安倍」のリーダー候補が育っていないことの証左だ。
また、自民党は「国民政党」として、保守・タカ派から保守・リベラルまで政策幅の広さで長期の単独政権を担ってきた伝統がある。
保守・タカ派の政策や政治理念を前面に出す安倍氏に対抗する声が出てこない現状は、自民党の柔軟性が後退し、ウイングの広がりがなくなったと見ることもできる。
無投票再選が(2)の要因が強まった結果だとすれば、来年の参院選に向けての不安材料であるだけでなく、長期的には党の衰退にもつながる深刻な現象だといえる。
(3)は、民主党政権の失敗から、自民党が学んだことだ。
フォロワーシップとは、自分たちが選んだリーダーの方針には、異論があっても最後はきっぱりと従うという政治態度であり、民主党政権の失敗の大きな要因がフォロワーシップの欠如だったことは、細野豪志政調会長をはじめ、民主党の有力者も認めるところだ。
かつての自民党は、剥むき出しの権力闘争に彩られてきた。
1979年、前年に総裁選で大平正芳氏に敗れた福田赳夫氏が、当時の首相だった大平氏に退陣を求め、同じ自民党の両氏が国会での首相指名選挙で競り合うという対決にまで持ち込まれたのは、その最たる例だ。
当時を知る人々には、現在の自民党は「おとなしくなった」と映るだろう。
しかし、100議席程度の野党が一夜にして300議席の圧倒的与党に化ける現行の衆院小選挙区比例代表制のもとでは、党内の権力闘争による足の引っ張り合いが政権全体の命取りになりかねないことを、民主党の野党転落は雄弁に物語っている。
今回の無投票再選が、フォロワーシップの重要さについて所属議員が共通認識を持った結果だったとすれば、自民党の成熟の表れであり、「政策論争がなかったのは残念」と紋切り型に嘆くのは表面的だ。来年の参院選への影響も乏しいだろう。
では、実際には、(2)と(3)のどちらが、無投票再選により大きく寄与したのだろうか。
■無投票再選から1年で退陣した橋本首相
今回の自民党内の動きを見る限り、安倍晋三首相の総裁選での無投票再選には、(2)の「現職総裁に対抗しうる政治家の不在」の要素が、(3)の「フォロワーシップ重視の政治姿勢の広がり」よりも、大きく寄与したように見える。
自民党が成熟した結果だと楽観するよりも、衰退の始まりではないかという危機感が必要だということだ。
そうであれば、今後、自民党の衰退を始まらせない、あるいは、加速させないためには、(2)の解消、すなわち、次のリーダーの育成と談論風発の伝統の復活を進めることと、(3)の定着、つまり、フォロワーシップを表面的で一時的な態度ではなく、党の政治文化にしていくことが求められる。
1997年に総裁選で無投票再選を果たした橋本竜太郎氏が、1年後の98年参院選で自民党大敗の憂き目に遭い、首相退陣に追い込まれた歴史にも学ぶべきだろう。
当時は、総裁選直後に起きた北海道拓殖銀行や山一証券の経営破綻で金融危機が始まり、内閣改造ではロッキード事件で有罪判決を受けたベテラン議員を登用するという人選の失敗もあって、橋本氏は求心力を急速に失っていった。
「経済」と「人事」がカギという意味では、世界同時株安が進み、近く内閣改造が予想されている安倍氏の置かれた現状は、橋本氏の状況とそっくりだ。無投票再選は安倍氏の「1強」ぶりを示しているようではあるが、不安要因は、そこかしこにある。
■政党幹部は私的な存在?
もう一つ、無投票再選をめぐる賛否両論の中で、ほとんど触れられていない視点がある。私的な結社である政党が持つ「公」の部分をどう考えるかだ。
「無投票によって、貴重な論戦の機会を閉ざしたのはけしからん」と言う声は、政権与党のリーダー選びが、わずか9か月前に有権者の信任を得た国政のリーダーの地位よりも優先されていることを、当然視している。しかし、論争するだけなら、総裁選でなくても可能なはずだ。
「政権与党のリーダー選びは、密室での話し合いではなく、有権者の目にも見える透明性の高い論戦を通じて行うべきだ」という意見ももっともだが、そこまで透明性を求めるのであれば、なぜ、政党を公的な存在と位置づけ、その権力や限界を定めた「政党法」がないのだろうか。
こうした疑念は、2005年の「郵政解散・総選挙」で有権者の圧倒的支持を得て自民党大勝をもたらした小泉純一郎首相が、続投を求める声が強かったにもかかわらず、衆院選の圧勝からわずか1年後に、党則で定められた党総裁の任期の満了をもって首相の職からも退いた際に注目され、論争を呼んだ。
国民が直接首相を選ぶ首相公選制ではない以上、各政党が、首相候補である党首の資質や業績を厳しくチェックする手続きは欠かせない。現職首相を抱える政権与党の責任は、より重い。その意味で、自民党総裁選には大きな意義がある。
ただ、昨年の衆院選で与党大勝を導いたばかりの安倍氏のステータスを奪うことができる政党のリーダー選びが、公職選挙法や政治資金規正法のような法律に基づいて行われるのではなく、政党が独自に決めた「党則」や「総裁公選規程」でしか縛られていない点について、今回の無投票再選をきっかけに議論することは可能だ。
政党幹部の「権力」にしても、例えば、政権与党の幹事長が行政に対して持つ実質的な影響力は、内閣の一閣僚が持つ権限より総じて大きいと考えられるのに、閣僚が省庁の設置法や内閣法などに縛られるのとは異なり、政権与党の幹事長を縛る法律は、国会議員としての地位に関するもの以外にはない。
政党に関しては政党助成法と公職選挙法が、政党交付金受け取りの要件などを示す形で「政党」を定義しているが、政党や政党幹部の権限を明確に示した「政党法」は、憲法の「結社の自由」とのかねあいもあって、制定の機運すらない。
無投票を紋切り型に批判するのではなく、そうした観点も念頭に、日本の統治システムの課題を考えるきっかけにしてもいいのではないだろうか。(読売)
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