■朝令暮改の新党方針と都構想再挑戦…〝禁じ手〟連発の真の狙いは
橋下徹大阪維新の会代表(大阪市長)が、共同代表や最高顧問を務めた維新の党に三行半(みくだりはん)を突きつけて離党した8月27日以降、矢継ぎ早に〝禁じ手〟を打ち出している。
離党に際し「今は党を割らない」と宣言していたのに、翌28日に大阪維新を母体とする新党結成の方針を内部会議で伝達。29日にはとうとう、5月の住民投票で反対多数となって頓挫した「大阪都構想」の再挑戦にも言及した。
行き当たりばったりの言動に見える半面、11月の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙の前哨戦に位置づけられた大阪府枚方市長選(8月30日投開票)の期間中に発信されたこともあり、大阪維新推薦候補の初当選につなげる戦略的な狙いがあった-との見方もある。
メディアや評論家から噴出する「発言がころころ変わる」との批判に、橋下氏はすべて計算通りと言わんばかりにツイッターでほえている。「これだけのことをやるのに思いつきでやるか、バカ」
■「色々と考えながらやっています」
8月31日、橋下氏は自身のツイッターに抗議のメッセージを投稿した。
「僕は柿沢(未途維新の党幹事長)さんが続投になったからと言って、一連の行動をとったのではありません」「もっと色々と考えながらやっています」
投稿の背景にあるのは、産経新聞の31日付朝刊1面(大阪本社版)に掲載された記事。維新の党を離党した27日に記者会見した橋下氏が、「きたるダブル選に向け国政と距離を置き、大阪の地方政治にしっかり取り組む」などと述べ、維新の党を割る考えはないとしていたのに、すぐに大阪維新の国政政党化の方針に変わった「一因」に言及したものだ。
記事では、橋下氏に近い大阪系の衆院議員の1人である遠藤敬国対委員長代理(大阪18区)が、29日の会合での橋下氏の様子と発言内容から「橋下、松井両氏の離党後も松野氏が柿沢幹事長を続投させたことだった」と一因を分析していた。
橋下氏はこれに納得いかなかったようで、ツイッターで「遠藤議員の解説通りなら、僕は単純なアホな男になってしまいます」とつぶやいた。
その後も「新聞・テレビのどの報道見ても、的確なコメント、解説は全くないな」「普通の解説者が解説できるくらいのことをやっていて、こんな政治ができるか。誰もが想像できないことをやるのがトップの役割だ」と投稿。一連の行動には深い計算がある-と示唆した。
■「ダメだこりゃ」転機は大阪会議の流会!?
場当たり的なのか、それとも計算づくなのか。橋下氏の公の場での発言やツイッターへの投稿から探ってみる。
橋下氏は住民投票で都構想が反対多数となった5月17日以降、自身の任期満了後の次の4年間の市政について、基本的に自民や公明に委ねるスタンスで発言を重ねてきた。「野党の立場になる方がより大阪維新らしさが出る」と大阪市議団幹部に語ったこともある。
11月5日の大阪府知事選の告示まで3カ月を切った8月8日に開かれた大阪維新の全体会議で、府議や大阪市議から「市長選に候補者を擁立すべきだ」と主戦論が続出しても、慎重な姿勢を変えなかった。
明らかに発言のトーンが変わったのは、ポスト都構想の広域行政の課題解決を目指す意思形成の場とみられていた「大阪戦略調整会議(大阪会議)」が、出席者不足で流会し、事実上の頓挫に追い込まれた8月13日以降のこと。こんなメッセージが17日のツイッターに投稿された。
「自民党は都構想をやらなくても、話し合いで解決できると言い続けてきた。そうであれば大阪会議でこの大阪の二重行政、二元行政の問題に正面から取り組み、既に存在する大阪の成長戦略を実行すべきだ。ところが自民党はこの一番しんどい問題から逃げて成長戦略を話し合うという。ダメだこりゃ」
大阪維新の市議は、橋下氏の心情をこう推察する。「大阪会議は始まる前からうまくいかないと思っていたと思うが、実際にスタートして『やはり都構想しかない』との思いを新たにしたのだろう。だが、都構想を再び掲げるには、大阪維新で府知事、市長のポストを取ることが不可欠。橋下氏はどうやって大阪ダブル選を有利に戦うのか考えていたのではないか」
■維新内部の深刻な「亀裂」
ダブル選への対応だけでなく、党内にも解決すべき課題があった。
維新の党は、橋下氏が創業した旧日本維新の会と、江田憲司氏率いる結いの党が合流する形で平成26年に結成された。しかし、橋下氏が5月の住民投票を経て政界引退を表明した後、橋下氏に近い大阪系と民主・結い出身の議員との間に深刻な「亀裂」が生まれていた。
大阪系の1人で維新の党国対委員長を務める馬場伸幸衆院議員(大阪17区)が民主・結い出身の議員との距離感を感じたのは今春、労働者派遣法改正案の対応を協議していた時期とされる。
「議論をしていて、どうも反応がおかしい。よくよく見てみると、考えが合わないのは、公務員改革で大阪維新が対峙(たいじ)してきた官公労(日本官公庁労働組合協議会)の支援を受けている議員ばかりだった」(馬場氏)
その中心にいたのが維新の党代表の松野頼久衆院議員(比例九州)。「年内に100人規模の野党勢力の結集を目指す」とぶち上げ、選挙で官公労や連合の支援を受ける民主への接近を公然と試みた。
さらには馬場氏に対し、国対委員長を外れ、選挙対策委員長を務めるよう迫った。労働者派遣法改正案や安全保障関連法案での国会対応で考えの合わない馬場氏を筆頭格とする大阪系の排除が狙いだったとみられ、馬場氏は「他の執行役員が交代しない中、自分だけを交代させるのは更迭に等しい」と猛反発した。
馬場氏と長年の親交がある松井一郎大阪維新幹事長(大阪府知事)も激怒し、松野氏に見切りをつけたとされる。ある大阪系の国会議員は「これが維新の党分裂にいたる道のりの始まりだった」と振り返る。
■バラバラから純化路線へ
そんな中、8月に持ち上がったのが、維新の党が推薦見送りを決めた山形市長選(9月13日投開票)で、松野氏と近い柿沢氏が特定の立候補予定者を応援したことに端を発する続投問題だった。松井氏は8月20日以降、柿沢氏について「お子ちゃま。赤ちゃん。自分がやったことに対してけじめもつけない」と怒りを爆発させ、幹事長辞任を要求し続けた。
折しもこの時期は、大阪ダブル選の前哨戦と位置づけられた枚方市長選(8月23日告示、同30日投開票)に向け、大阪維新府議団が準備を進めていた真っ最中。橋下氏が維新の党からの離党、大阪維新の国政政党化、大阪都構想への再挑戦を矢継ぎ早にぶち上げたのは、枚方市長選が終盤にさしかかった27~29日と重なるのだ。
維新の党の大阪系衆院議員の1人である遠藤氏は30日夜の時点で産経新聞の取材に応じ、29日夜に大阪系の国会議員10人が橋下氏と松井氏から新党構想の説明を聞くため、大阪府泉佐野市内の結婚式場の控え室に集まった際の様子を証言した。
「許せないですよ。柿沢さんと松井さんを天秤にかけて、そのまま何もなし、なんて」。橋下氏はこみ上げる怒りを抑えられない様子で松野氏を批判。
離党を表明した27日に「柿沢氏は辞任しない」「今は党を割らない」といった趣旨のメールを維新の党幹部に送っていたが、「(松野氏は)文面をそのまま受け取ったんでしょうね。『今は(党を割らない)』って書いてあるじゃないですか」と語った。
その後、「だけど、ちょっと早かったね。(離党表明の27日から)2日ってなぁ」と話した松井氏の口ぶりから、遠藤氏は「橋下氏が新党構想を松井氏と練り込んだ感じはしなかった。あったとしても『軽い相談』くらいではないか」とし、橋下氏がほぼ1人の政局観で大阪維新の国政政党化を決めたとみている。
9月4日の定例記者会見で橋下氏は「枚方市長選がどうなるか分からなかった」と話し、市長選、さらには11月のダブル選に向けて勢いをつける狙いがあったことをにおわせた。大阪維新所属の大阪市議は「維新のバラバラ感を払拭し、純化路線に転じることはダブル選でのアピールになると考えたのでは」と分析した。
■究極の禁じ手「引退撤回」は…
官公労の支援を受ける民主系の国会議員から離れ、純化路線を突き進む自らと大阪維新の行動を蒸留酒づくりに例え、「維新スピリッツ(蒸留酒)」と表現してみせた橋下氏。枚方市長選に勝利し、ダブル選に向けて弾みがついたように見えるが、実際にはそんなに単純な話ではなさそうだ。
枚方市長選で初当選を果たした大阪維新推薦の伏見隆氏の得票数は5万5156票。地元組織が分裂した自民系候補2人の得票数は合計で6万2318票だった。この結果に、自民府連幹部は「まとまれたら勝っていた」と反省の弁を述べる一方で、「橋下氏があれだけ派手な空中戦を仕掛けたのに、維新の票はそれほど伸びなかった。まとまったら次は勝てる」とダブル選に向けて戦える環境が整ったとみているのだ。
橋下氏がダブル選の争点に掲げた都構想への再挑戦へのハードルは高い。知事と大阪市長、どちらか1つでも落とせば、大阪府と大阪市の広域行政を統合する都構想への信任を得られたことにはならないからだ。
大阪維新内部には、この4年間で橋下氏の盟友として知名度を高めた府議出身の松井氏の再選を楽観視する声がある一方、政界引退を表明した橋下氏への期待感を欠く中で戦う市長選への不安感が渦巻く。
そんな中、自民を中心とした非維新の各党からは、朝令暮改で発言を変えることをいとわない橋下氏の市長選への再選出馬を警戒する声も出始めている。
12月18日の任期満了での政界引退の撤回。果たして橋下氏は〝究極の禁じ手〟を繰り出してくるのだろうか。(産経)
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