■天津爆発の責任は黄興国市長兼党書記代理にあるのではないのか
天津大爆発事件から一ヶ月以上が経過した。
危険物倉庫の管理責任者ならびに市当局の雑魚どもが拘束されたが、大物は誰も拘束されず取り調べも受けていない。
危険物倉庫を独占した利権の元締めは前天津書記の張高麗である。かれは石油派の代弁者であり、江沢民の番頭格でもあり、ごますり男として「活躍」するうちに政治局常務委員にするりと滑り込んだ。いまや盛んに習近平にごますりを続けている。
いま民衆の怨嗟の的は天津市長兼党書記代理の黄興国に向けられている。
黄市長はなぜ、責任をとって辞職しないのかというわけで、つまり黄興国は習近平の側近であり、次の党大会で政治局入りは間違いないと下馬評が立っていた人物、ここで退くわけにはいかないのだ。
「孟学農に学べ」という声が日増しに高くなってきた。
孟学農は共青団出身で、北京副市長から2003年に北京市長になった。ところがSARSの蔓延で責任をとり、あっさりと辞任した。
五年間の雌伏のあと、08年に山西省省長となった。しかし、ここでもまた土石流事故がおこり274名の犠牲がでたため、引責辞任。現在は政協会常務委員である。
「天津のボスよ、はやく辞任せよ」と言う声が、この孟学農の出処進退の潔さと比喩されるのだ。
天津大爆発の死者は158名、経済的損害はすくなく見積もっても、700億元(1400億円)、世界第四位の貿易港が麻痺した。
習政権にとって手痛い打撃となった。
しかし責任論なぞ、蛙の面になんとか、黄興国は9月1日、天津常務委員会を開催し、「天津の発展には殆ど影響はない」と豪語したのだ。
天津は中国の四大直轄市のひとつで、その党書記とは政治局員でないとなれないという不文律がある。
このため、黄興国は市長兼務書記代理と「代理」の肩書きを付けざるを得ない。習近平の部下として浙江省時代に見いだされ、14年に書記だった孫春蘭が中央へ転出した空きを、習近平が市長だった黄に党書記を兼務させることにしたのだ。
市長から書記になったのは韓正・上海書記(かれは政治局員)、市長と書記を兼務した原型は李瑞環(元政治局常務委員)だった。
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