19877 フォルクスワーゲンの謀略と落とし穴   古沢襄

■モータージャーナリスト・御堀直嗣の見解
 

独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)が米環境保護局(EPA)から、ディーゼル車の排ガス規制を不正にクリアしていたと指摘された問題は、ロイター通信が不正行為は米国だけでなく、欧州でも行われていたと報じ、さらに拡大の気配を見せている。

今回起きた独フォルクスワーゲンの排ガス規制における不正は、まさに青天の霹靂へきれきというべき驚愕きょうがくの不祥事だ。

日本では、輸入車の中でも特にドイツ車の人気が高い。それらのユーザーにとっても、このようなことが現実に起こるものなのか、というのが率直な思いであるに違いない。

人々の健康を守る大気汚染防止の責務を担う排ガス浄化性能を、排ガス試験のときにのみ基準値を満たし、公道を走り出すと規制値以上の排ガスを出してしまう――。そんな作為的なソフトウェアが搭載されていた(※参考記事:『VW不正ソフト、試験を検知し浄化装置フル稼働』)。その台数は、世界で1000万台を超える可能性があるとまで伝えられている。

昨今のクルマは、ソフトウェアの集合体といっても過言ではない。走行性能から環境性能、そして安全に至るまで、コンピューター制御に依存し、プログラムの内容はブラックボックス化している。排ガス検査の当局者など専門家ですら、試験で基準を満たしているなら、不正を見破るのは容易ではないだろう。

今回は、EPA当局の厳しい追及などによりフォルクスワーゲン側が違法ソフトウェアの存在を認めたという。フォルクスワーゲンが仮に、外から見えるハードではなくソフトウェアの不正なら発覚はしないと見込んで不正を働いたのだとしたら、悪質極まりないと言わざるを得ない。

それにしても、なぜそのようなことをするに至ったのか?

そもそもフォルクスワーゲンは、まだ自動車が裕福な人たちのものであった時代に、自動車技術者のフェルディナント・ポルシェが構想した“庶民のための自動車”が源だ。戦後ドイツ復興の中で槌音つちおと高く量産が開始された乗用車「タイプ1(通称ビートル)」をはじまりとし、社名も、“国民車”という意味そのままの「フォルクスワーゲン」と名付けて創業した。

そこからの70年に及ぶ歴史は、質実剛健で、あえて言えばあまり面白みはないかもしれないが、“買って損をしない確かな製品”という確固たる信頼を地道に築き上げてきた。

今回の不祥事は、その土台を一気にひっくり返すような大きな出来事だ。

この不祥事が誘発されるに至った発端を考えてみたい。

近年、日本国内でも人気が高まりつつあるディーゼルエンジンは、ガソリンエンジンに比べて燃費が良い反面、排ガス浄化が難しいとされてきた。

ガソリンエンジンに比べ、窒素酸化物(NOx)の排出量が多いのだ。それから、従来のポート噴射式を採用するガソリンエンジンでは問題視されなかった粒子状物質(PM)も排出される(最近、多くなってきた直噴式では少し状況が異なる)。このNOxとPMを同時に減らすのが、実は難しい。

NOxは、燃料を高温で燃焼すると発生しやすい特徴がある。一方、PMを減らすには燃料の燃え残りが少なくなるよう高温で燃やし尽くす必要がある。しかし高温では、NOxが多く出てしまう。NOxを減らすには燃焼温度を下げればよいが、それでは逆に燃料の燃え残りができ、PMが生じやすくなるというジレンマが生じる。

■欧州と米国の排ガス規制

2000年以降、欧州で急速にディーゼルエンジンの人気が高まり、市場の50%を占めるに至ったとき、誰にでもわかりやすい黒煙に通じるPM規制は厳しく行われたが、NOxに対しては規制が甘かった。

巨大都市(1000万人を超えるメガシティー)がない欧州では、NOxを要因とするスモッグが認識されることが少なかったためだ。

ところが、近年になって欧州各国の都市で、大気汚染が問題化している。パリ、ロンドン、ローマ……。

ガソリンエンジン車に比べNOx排出量の多いディーゼルエンジン車が増えたためだ。たとえば仏のパリの場合、市長が「2020年までにディーゼル車の市内での運行を禁止する」と発言するほどまで、事態は深刻化している。

しかし、欧州の排ガス規制も厳しさを増し、「EURO6」と呼ばれる排ガス規制を実施する今日では、日本の排ガス規制「ポスト新長期規制」とほぼ同等の基準値となっている。この厳しい規制をクリアしたクリーンなディーゼルエンジンを搭載する新型車が、日本へも続々と輸出されるようになった。

それでも、米国の排ガス規制では、さらに高い壁が待ち受けている。NOxの排出基準がさらに厳しいという現実だ。

これが、不正の根となった一因ではないかと考えられる。

■米国市場で日本のハイブリッドに対抗するには?

次に、なぜ不正を犯してまでディーゼル車を米国市場に導入しなければならなかったのか?

欧州は概して、クルマの速度域が高い交通状況にある。市街地では時速50キロ規制が敷かれるが、市街地を離れると一般道でも、時速80~100キロで走れる。

高速道路では、独アウトバーンの速度無制限は有名だが、その他の国でも時速130キロの速度規制になる。この状況では、日本発のハイブリッド車の燃費性能は期待されるほどには発揮されないのが実情だ。

一方、米国は、日本に比較的近い交通状況にあり、市街地も高速道路(フリーウェイ)も、速度に対する制約が厳しい。したがって、日本が世界に先駆けて量産市販したハイブリッド車が、燃費性能もよく、走行性においても満足がいくのでよく売れている。

しかしながら、欧州車にはハイブリッド車が少なく、メルセデス・ベンツSクラスやBMW3シリーズの高性能車種などに限定される。したがって、米国市場で売れ筋の日本の小型ハイブリッド車と燃費で競争できる商品はというと、ディーゼル車しかない、という状況に追い込まれるのだ。

■目指すは世界一の販売台数、そこに落とし穴が

そこにフォルクスワーゲンの場合、トヨタと世界一の販売台数を競うという経営戦略が加わってくる。

冒頭に紹介したように、そもそもフォルクスワーゲンは質実剛健、買って損のない市民のための自動車を造ってきた。ところが、数で世界一を目指すようになったことで、台数を多く売ることに経営の重心が移ってしまい、品質は二の次に追いやられてしまったのではないだろうか。

似たようなことは、日本のホンダでも起きた。急激な販売台数の増加を目指した結果、13年9月に発売したコンパクトカー「フィット」や小型SUV(スポーツ用多目的車)「ヴェゼル」のハイブリッド車で、大量のリコールを出してしまったのがそれだ。

ホンダの創業者、本田宗一郎は、「世のため人のため」を旨とし、三つの喜びを目指した。すなわち、「作って喜び、売って喜び、買って喜ぶ」。メーカーも販売店も消費者も、三者みんなが幸せになるクルマづくり、およびバイクづくりを目指してきた。

ところが、“売って喜ぶ”が強調された結果、追いつかなくなった品質がリコールを生む結果となった。未完成ともいえる状況で市販を余儀なくされた開発者・技術者らも、さぞかし辛つらい思いをしたに違いない。

■あらゆる企業にとって人ごとではない今回の不祥事

フォルクスワーゲンも、フェルディナント・ポルシェが庶民のための自動車を構想した志を受け継いできたはずなのに、“売って喜ぶ”を前面に押し出したら、結果として落とし穴にはまってしまい、今回の不祥事が起こった。

自動車に限らずだが、消費者が喜ぶ製品を適正価格で売り、それが結果的に数のナンバーワンとなるなら、それは素晴らしいことであろう。だが、数を追い、ナンバーワンになることが前面に押し出されたとたん、本田宗一郎の言うところの三つの喜びのバランスがほころびを見せるのだ。

創業の志を忘れ、売り上げ至上主義に走ったフォルクスワーゲン。これまで真摯しんしな汗で築き上げてきた信頼は一気に崩れ去った。これは、フォルクスワーゲンの例にとどまらず、また自動車にとどまらず、あらゆる物づくりを源とする企業にとって、決して人ごとではない。

頂点を極めたいと思う人間の欲望と、人のために尽くす物づくりとのせめぎ合いは、常にそこに潜んでいるのである。

■プロフィル・御堀直嗣( みほり・なおつぐ )

1955年、東京都生まれ。玉川大工学部卒。大学卒業後はレースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。現在、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。日本EVクラブ副代表としてEVや環境・エネルギー分野に詳しい。趣味は、読書と、週1回の乗馬。

<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>

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