■東京学芸大学准教授・小澤英実 ノーベル賞期待のハルキ文学、原文とは違う英訳本の魅力
毎年ノーベル賞発表の時期になると、村上春樹の周辺が騒がしくなる。今年こそノーベル文学賞をとれるのか。多くの人の関心はそこに集中する。
今回も受賞を逃したが、村上作品は英語をはじめ多くの言語に翻訳され、世界中で愛読されている。
文学だけでなく音楽やポップカルチャーまで英語圏の文化に幅広く精通している村上春樹が書いた作品は、英語との親和性が高い。作品が素直に英訳できる。村上春樹が毎年ノーベル文学賞候補に挙げられる背景はそんな理由もありそうだが、実はその英訳は原文とは違った魅力を放っているのだ。
■読んですぐ英訳が浮かぶ文体
村上春樹の小説は、なぜ世界中の人々に読まれているのか――これはハルキ文学に興味を持つ人が一番知りたい疑問のひとつだろう。答えは読者の数だけあるが、よく聞かれる意見として「翻訳がしやすい文体だから」というものがある。
たしかに村上春樹の文体は英語の直訳のような文章も多く、読んでいて英訳が頭に浮かんでくることもしばしばだ。村上春樹自身、デビュー作「風の歌を聴け」を書く時に、既存の日本純文学のものと異なる独自の文体を手に入れるため、冒頭部分をまず英語で書き、それを日本語にしたと述べてもいる。実際に翻訳された文章を日本語に訳し戻してみたら、原文とほとんど同じものになったという人もいるぐらいだ。
こう聞くと、言語を問わず世界中の読者がほぼ同じものを味わっていると思ってしまうが、実際に英訳を読んでみると、細かなところにさまざまな違いがみえてきて、驚くような発見が多くある。
■爆笑誘う“TV People”
例えば英語圏の読者にとって、村上文学の大きな魅力はユーモアの感覚にある。
私が現在担当しているNHKラジオの番組「英語で読む村上春樹」では、今年4月から9月にかけて「TVピープル」という短編を英語と日本語で読んだのだが、もうひとりの出演者であるマシュー・チョジックさん(テンプル大学講師)は、この英訳を「爆笑しながら読んだ」と言う。
物語は会社員の男の家にある日突然TVピープルという謎の三人組が闖入ちんにゅうするというもので、不条理な話だが全体のトーンには不穏な恐ろしさが漂っている。はじめはどこに爆笑できる要素があるのかと不思議に思ったが、実際に英訳を読んでみてよくわかった。
例えばこの物語には、主人公の青年の世界が変容をきたしていることを示す、村上春樹が創作したオリジナルのオノマトペ(擬態語・擬音語)がたくさん登場する。
置き時計の秒針の音は「タルップ・ク・シャウス、タルップ・ク・シャウス」と表記されているが、これは英訳では“TRPP Q SCHAOUS TRPP Q SCHAOUS”となっていて、英語にはアメリカン・コミックスによく登場するオノマトペ(BOOOMやWHAM!など)を彷彿ほうふつとさせるようなユーモラスな要素が加わっているのである。
■「かえるくん」から「Super-Frog」へ
また「かえるくん、東京を救う」という短編では、主人公である片桐という会社員の青年の部屋に、人間の言葉を話すカエルが押しかけ、東京を大地震から救ってくれと頼む。
この英語版のタイトルは“Super-Frog Saves Tokyo”となっていて、日本語版のタイトルは、ひらがなの持つ柔和なニュアンスでかわいらしいイメージの「かえるくん」が「東京を救う」というミスマッチに面白さがあるが、英語版のSuper-Frogにはアメコミのスーパーヒーローのような雰囲気が漂っていて大きく異なる。
さらにこのかえるは自分の呼び名に強いこだわりがあり、「ぼくのことはかえるくんと呼んで下さい」と言って、片桐とこんなやり取りを交わす。
「ねえ、かえるさん」と片桐は言った。
「かえるくん」とかえるくんはまた指を一本立てて訂正した。
「ねえ、かえるくん」と片桐は言い直した。(「かえるくん、東京を救う」より)
これが英訳では、
"To tell you the truth, Mr. Frog―――"
"Please," Frog said, raising one finger again."Call me `Frog.’"
"To tell you the truth, Frog," Katagiri said[……].(ジェイ・ルービン訳「Super-Frog Saves Tokyo」より)
日本語の「くん」や「さん」などの敬称の違いを英訳するのは至難の業で訳者泣かせのところだが、英訳は「かえるさん」を"Mr. Frog"、「かえるくん」を"Frog"としている。Mr.Frogというといっぱしの紳士のような感じで、「ですます調」で丁寧なしゃべり方をする「かえるくん」には合っているが、なんだかスーツでも着ていそうな雰囲気がする。
また「かえるくんと呼んでください」という部分の訳にあたる"Call me Frog"は、おそらくアメリカ文学の古典であるハーマン・メルヴィルの「白鯨」の出だし"Call me Ishmael"をもじったものと思われ、訳者はここにもさりげない連想とそこから生まれるユーモアをひそませているのである。
■文化の違い、受け止め方の違い
また、日本語で読んだときには意識せずに読んでしまうような箇所に、日本と英語圏の文化の違いが感じられたりもする。かえるくんも「TVピープル」も主人公の家に突然闖入してくるという大枠は同じだが、かえるくんは片桐の帰宅を部屋の中で待ち受けていて、玄関で呆然ぼうぜんとする片桐に「早くドアを閉めて、靴を脱いで」と言う。
英語圏では家の中で靴を脱ぐ必要がないので、このくだりは日本の小説であることがよく表れた部分になる。一方TVピープルは、主人公の部屋に土足で上がりこんでくる。日本語ではTVピープルの異様さが強調されるくだりだが、英語圏の文化に則せば、ここには何の問題もないことになってしまう。
また、私たちがよく知る食材や料理の名前も、英訳で読んでみるとまるで違うもののように思えたりして、その訳しにくさから日本の食文化を見直すきっかけになったりもする。
例えば、「ノルウェイの森」にこんな一節がある。「鯵あじの酢のものに、ぼってりとしただしまき玉子、自分で作ったさわらの西京漬、なすの煮もの、じゅんさいの吸物、しめじの御飯、それにたくあんを細かくきざんで胡麻をまぶしたものがたっぷりとついていた」
この羅列だけでもおいしそうな雰囲気が伝わってくるが、この英訳は"An amazing assortment of fried, pickled, boiled, and roasted dishes using eggs, mackerel, fresh greens, eggplant, mushrooms, radishes, and sesame seeds,[……]."(ジェイ・ルービン訳「Norwegian Wood」より)となっている。
日本語に訳し戻すと「卵やサバ、生野菜やなすやきのこや大根やごまを使って、炒めたり漬けたり煮たり焼いたりした取り合わせの見事な料理」だ。原文と英訳の距離に驚いてしまう人も多いのではないか。
■緻密なルービン訳、大胆なバーンバウム訳
これに加えて、日本語版と英語版を読み比べるもうひとつの面白さは、訳者ごとの個性の違いにもある。村上春樹の主要作品は、ジェイ・ルービン氏とアルフレッド・バーンバウム氏の二人によって英訳されてきた(近年ではテッド・グーセン氏とフィリップ・ガブリエル氏も加わった)。
ルービン訳とバーンバウム訳は、個人的な印象で言えばまったく性格が異なる。ルービン訳は正確で緻密ちみつ、原文の再現性が非常に高い。ルービン訳は日本語に訳し戻しても、かなりの割合でオリジナルの文章に近いものになるだろう。
一方のバーンバウム訳は行きすぎた改変こそないものの、かなり自由で大胆な訳を作り、どちらかと言えば内容よりも文章のリズムやイキのよさが重視されている。とはいえ、村上春樹も文章を書くときは何よりもリズムを重視していると発言しているし、その点はルービン訳を上回るところもある。英語圏でも双方の訳に熱心なファンがいて、どちらの訳がよいと活発に議論を交わしていたりするが、どちらにも甲乙付けがたい魅力がある。
小説家の水村美苗氏が21世紀を「英語の世紀」と呼んだのは記憶に新しい。日本文学が世界文学のネットワークに編み込まれるのと足並みをそろえるように、読者である私たちも、これからは海外文学を通して世界のありようを知る面白さだけでなく、日本文学がどのように世界へ発信されているのかを知ることも重要になってくる。
とはいえ、そのような気負った態度を取らなくても、「日曜の夕方的状況」や「存在そのものが存在基盤を失ってしまう」といったような村上春樹ならではの言い回しや、「やれやれ」のような主人公たちの口癖がどのように英訳されているのかを見るだけでも十分面白い。
村上春樹は高校時代から英語のペーパーバックを読み漁あさっていたが、いまは私たちがハルキ文学の英訳を読む時代になった。村上春樹の英訳は高校程度の英語力があれば十分に読むことができる。自分のよく知る物語が、別の国の言葉になるとどんなふうに生まれ変わるのか、知っているのに知らない物語を読む楽しみがそこにはある。
■小澤英実( おざわ・えいみ)プロフィル
アメリカ文化研究者・翻訳家・批評家・東京学芸大学准教授。NHKラジオ「英語で読む村上春樹」に出演中。著書に「村上春樹全小説ガイドブック」(共著・洋泉社)、訳書にジョーンズ「地図になかった世界」(白水社)など。
<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>
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