■中国の「手駒」「手口」さらして欲しかった
いっそ受賞してくれていたら、中国の意図と狙いがはっきりして分かりやすかったのに、と残念極まりない。村山富市元首相が最終選考まで候補として残ったものの、健康上の理由で辞退したという今年度の「孔子平和賞」のことである。
この賞は、ノーベル平和賞に対抗し、「中国の価値観で世界平和に貢献した人物」に贈られる。これまであのロシアのプーチン大統領やキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長らが受賞しており、今年は腐敗と独裁で悪名高いジンバブエのムガベ大統領の受賞が決まった。
■資格は十分
要は、そのときどきで中国にとって都合のいい人物に与えられる賞であり、村山氏にはその栄誉を授かる資格が十分あった。例えば、国会で安全保障関連法案の審議中だった今年8月14日のフジテレビ番組ではこう中国を擁護している。
「日本が戦争をしないと言っているのに、日本に攻めてくるなんてことはありえない」
まるで、信号があるから事故が起きる、家に鍵をかけないと宣言したら泥棒は入らない、と信じているかのような珍妙な理屈だ。
このときは、同番組に出演していた石原慎太郎元東京都知事が即、「ナンセンスだ。やめてもらえないかなバカな議論は。現実は現実としてみないといけない。中国は誰が見たって脅威じゃないか」と切って捨てていた。
だが、村山氏の言葉はこの場のただの思いつきではない。同様の見解をあちこちで繰り返している。今年6月の記者会見では「中国は戦争なんてことは全然考えていません」と代弁し、昨年5月の明治大での講演でもこう強調した。
「中国側が私たちに言うのは『中国は覇権を求めない』『どんなことがあっても話し合いで解決したい』と。それは当然だ」
「戦争をしないと宣言して丸裸になっている日本を、どこが攻めてくるか。そんなことはありえない。自信を持っていい」
村山氏はおそらく、中国に武力で併合されたチベットやウイグル、内モンゴルの受難などまともに考えたことがないのだろう。
今回の安保関連法をめぐる議論を見ていて強く感じたことは、左派・リベラル派の一定数の人は、日本さえ何もしないでじっとおとなしくしていれば、世界平和は保たれると本気で信じていることへの驚きだった。
■稀有な存在
「平和を愛する諸国民の公正と信義」なる絵空事を広めた憲法前文の害毒は、残念ながら日本社会を深くむしばんでいる。
そしてその代表者が首相まで務めた村山氏であり、尖閣諸島(沖縄県石垣市)のみならず、沖縄本島への野心も隠さない中国にとって、これほどありがたい存在は稀有であろう。
中国が、そうした利用価値の高い人物を表彰してさらに取り込もうとしたことは、同様に使い勝手がいい鳩山由紀夫元首相も過去に孔子平和賞の候補とされたことからも明らかである。
結局、村山氏が受賞しなかったためこの件はそれほど話題にならなかった。だが、仮に受賞していれば、中国の思惑とは裏腹に中国の対外工作の手口がもっと注目されていたはずだ。
また、どういう人物が中国の手駒とされているのかも、国民の目に分かりやすく映じただろう。返す返すも村山氏の受賞辞退が惜しまれるところだ。(産経論説委員兼政治部編集委員)
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