朝六時に目が覚めた。長時間ぐっすりと寝たせいか、熱もさめた感じだ。七度六分の熱が六度台、バロンを連れて散歩に出たが、冷たい風に吹かれて震え上がった。
就寝中に寝汗をかいたのだろう。寝汗とともに熱も発散されたと思っていたが、寒風に吹かれて風邪がぶりかえしかねない。いつもなら三〇分の散歩だが一〇分で切り上げた。
帰宅してもう一度、検温。不思議なことに36・5度の平温。人間の身体は丈夫に出来ている。身体に悪いと言われれば、意識的に悪いことをやる”逆療法”を信奉してきた。
病院に長期入院してからタバコと酒はやめた。一日に4箱吸っていたのが、一本も吸わないので、「よく我慢できる」と感心されたが、夜中の咳と痰でタバコが吸えなくなった。タバコが吸えないからやめただけのことである。”逆療法”とは関係ない。
父・古沢元もヘビースモカーだった。夜になって小説を執筆中にタバコ切れになると、近くのタバコ店に買いに行かされた。暗い夜道を走ってタバコを買いに行くのは、あまり気持ちのいいものではない。
「タバコなんて吸うものか」と思ったものだが、”もの書き家業”になってみたら、タバコが放せなくなった。何の因果か、政治ジャーナリストが、新聞労連と対峙する労務を担当して八年、団体交渉の責任者・労務担当役員なって一日に四箱・八〇本を吸う身になってしまった。
それでも社業は大過なく勤めあげたが、母・古沢真喜の没後は、同人誌・「星霜」の執筆人となって短編を書き続けた。労務担当よりもこちらの方が本職だったろう。
菊池寛のお弟子さんだった那珂孝平さんから福岡支社長室に突然、ハガキを頂戴した。
<本日、貴君の短編「若死の予感」を校正しながら読み、大へん感銘を受けました。これはもっとくわしく書ける材料と思われます。「星霜」25号は5月初旬には出ます。これは創作として出していいものです。感心したのでちょっと一言まで。1987・4・8>
追いかけるように
<「若死の予感」に続く作品を書きなさい。日本では数少ない短編小説の作家になれます。>
だが、私は途中下車のつもりが52歳。小説を書く才能はないとあきらめていたから、いまさら短編小説の書き手で、いちから出直す気力も失せていた。31年前のことになる。サラリーマン稼業のまま定年を迎え、役員になってしまった。タバコの本数も四〇本に減っていた。二〇年も昔のことである。
あれほど酒びたりだったのが、酒を飲んでもうまいと思わなくなった。東大生の孫が成人になったので、浅草のホテルで四合ビンを二人で二本、一年ぶり空けた。四合空けた孫は帰りの地下鉄を降りたところで吐いたそうな・・。私も二、三日間下痢で悩まされた。
体調を崩して、長期入院したのは間もなく。
それが一〇月からタバコを復活。一日に二、三本だったのが、いまは一〇本。咳も痰も出ない。体調もすこぶる良い。さすがに酒を復活する気にはまだならないが、熱燗のフグのヒレを入れたヒレ酒だけは飲みたい。
フグのヒレ酒は新橋の駅前通りで週に二回は飲みに通った。フグの鍋を食べた後に、モミジおろしと酢をきかせた”おじや”の味は忘れられない。
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