■外交と秘密工作を請け負ったのはふたりの兄弟 アメリカはいかに間違えた外交を展開したのか
<スティーブン・キンザー、渡邊惣樹訳『ダレス兄弟』(草思社)>
戦後アメリカの外交と諜報工作を采配したのはダレス兄弟である。
副題は「国務長官とCIA長官の秘密の戦争」とある。いまではダレス空港の名前しか残らず、あらかたの国民はその名も忘れてしまったかのようだが、アイゼンハワー政権で六年間、国務長官としてアメリカ外交を牛耳ったのは兄のジョンであり、CIAを指揮し、いくたの秘密工作を指導したのは弟のアレンだった。
しかも二人は阿吽の呼吸で共同歩調を取ったので、外交と諜報はセットとなり、アメリカの国家としての威厳をかけて、凄まじい裏工作に熱中した。コミンテルンの暗躍に平行しアメリカの陰謀も進んでいたのである。
いま思い出しても謎に満ちた不思議な政治出来事や、謎の事件の嚆矢は、イランのモサデク政権崩壊、資源王国コンゴのルムンバ首相暗殺、そしてキューバ侵攻の失敗、グアテマラ、インドネシアに於ける陰謀等々である。
CIAの秘密工作は、当時から噂はされていたが、誰も詳しくは知らなかったし、知りたいとも思わなかった。きわめつけはホーチーミンを憎み、ベトナムの泥沼に足をつっこむ切っ掛けをつくったのも、ふたりの兄弟だった。
その最大の動機はアメリカは神から与えられた使命があり、悪魔の共産主義と闘っているのであり、CIA工作と、これを支援したアメリカ外交の裏工作とは崇高な任務と考えられたからだ。
アレンは八年間、CIA長官として、その工作はJFK政権も受け継がれ、やがてピッグス湾の大失態へと繋がり、その後のJFK暗殺へと発展した。
ダレス家は名家であり、祖父も叔父も国務長官や大使を務め、いつも政財界の大物が出入りした。ふたりはこういう家庭環境で育ったため、国際情報にはやくから通暁したのも自然だった。
ジョンの社会的出発はS&C(サリバン&クロムウェル)という法律事務所だった。ここでの活動が、以後の彼の人生の基軸となった。同社は1879年の創設で、「投資家と企業を結びつけて巨大企業を生み出す」目的があった。「大金持ちの極悪人」といわれたハリマンも顧客だった。
「S&Cは金融界にもメディアにも強い影響力を行使できた。政界の意思決定を左右できるほどの影響力だった」というから、司法事務所兼ロビィスト、政界のフィクサーの機能があったと考えられる。
じつはこのポイントこそ、ダレス兄弟を考える際に重要な事実である。つまり二人はウォール街とワシントンを繋げる位置にいたし、ものごとの判断はウォール街の投資家という視点だったことだ。
1926年にジョンはS&Cのシニア・パートナーとなった。以後半世紀に亘りジョンは「アメリカの運命に深く関わることになる」(75p)のである。
同じく1926年に弟のアレンもSC社にはいってきた。「アレンが世界的な人物と知己であったことが(採用条件に)大いに役立った」。
S&CはUSスチールという巨大企業を産む法的なエンジンとなった。外国の顧客も夥しく、当該国へ進出したアメリカ企業の代理人でもあった。
ふたりはドイツ、仏蘭西などへ頻繁に出かけ、政治がらみの大型案件をまとめた。
当時のアメリカは「孤立主義」の立場をとっていたが、ジョンとアレンは外交政策のシンクタンクとして強大な影響力を発揮し始めた「フォーリンアフェアーズ」とも密接な関係を築いた。
ジョンはドイツ贔屓であり、厳格で狷介な性格だった。アレンは社交的であり、女性の出入りが激しく、社交的でもあった。
二人の性格は百八十度異なった。
▼手始めはイランのモサデク政権転覆だった
時は流れ、FDRは急死し、トルーマンが大統領となって、日本に原爆を落とした。
「トルーマンはCIAを利用したが、外国の指導者に対する転覆工作まではさせていない。しかしアイゼンハワーは違った。指針作りは(国務長官となっていた)ジョンが担当した。実行役は(CIA長官となっていた)アレンだった」(205p)。
「アイゼンハワーは諜報工作の価値をしっかりと理解していた」。
ドイツの暗合解析をはじめとした諜報活動については長い間秘密であった」
そして連合国は第二次世界大戦に勝利こそしたが、アメリカが支援したソ連は共産主義独裁国家としてアメリカと対峙し、やはりアメリカが支援した中国は毛沢東によって横取りされ、「誰がチャイナを失ったか」という議論となる。
「1940年代後半から1950年代初めのアメリカ国民は、あの大戦の敵国だった国々とソビエトは同質であると見なした。ナチスの大量虐殺のイメージをソビエト共産主義に投影した。ソビエトの指導者は世界の支配者になろうと企んでいると教えられ、それを信じた」
最初の大規模な秘密工作はイランである。
石油国有化宣言をなした民族主義指導者のモサデクをアレン兄弟は「共産主義の陰謀であり、背後にソ連がいる」とあおった。
「テヘランでならず者連中に金を渡してテヘラン市内を騒乱状態に陥れ、反体制派の軍人の指揮に当たった。(中略)暴徒化した群衆がモサデクの私邸に向かった。夜が明けるころには反モサデク派が勝利した。」
CIAの陰謀は成功し、つぎのようにアイゼンハワー大統領は日記に書いた
「ソビエトにとって手痛い敗戦だ」(252p)
大統領もダレス兄弟も、こうした工作はひきつづき成功し続けると誤信した。
対日工作については次のような記述がある。
「アレンは自由民主党を味方に引き入れた。アレンは当時頭角を現してきた岸信介を支援した。岸は後の首相となり、他党のリーダーにカネを配り、野党社会党を腐敗させた。CIA工作は十年以上にわたって続き、冷戦期の間、日本をアメリカの同盟国に留めておくことが出来た」(324p)
しかし驕慢は愚策を産む。最悪の失敗はベトナムだった。共産主義の脅威とドミノ理論が、そういえば当時の国際環境の空気だった。
▼統治の真空を埋めるのは神意だというアメリカの錯覚
「ジョンは、植民地から宗主国が撤退した後に出現する『権力の空白を埋める』のはアメリカであるべきで、『緊急時に行動する能力のみならず、終始存在感を』示すべきであると確信していた。
そこでアメリカは南ベトナムの傀儡にカソリック教徒のゴ・ジン・ジェムを撰んでしまった。
「これが仏教徒が90%の国の指導者」となるのだ。
「彼と働いたことのある者は、彼が優れた政治指導者になれるなどとは考えてもいなかった」(337p)
失敗はさらに連続した。
つぎの蹉跌の舞台となるのはインドネシアだった。
「ホーチーミンを狙ったのは、彼が生粋の共産主義者だったから」だが、スカルノは違った。しかしダレス兄弟はアジアの理解がまるでなかった。
「(ソビエト脅威に対する)パニックと無知と頑迷さから、アメリカにとって何の脅威でもなかったスカルノを結果的に失脚させてしまった。スカルノは、インドネシアを西欧的な視点で見ないようにと警告を発していた」(428p)
▼中立、非同盟という国家は敵に陥る前に、と過剰介入
つまり非同盟諸国という、中途半端な国々はダレス兄弟からみれば許せない存在であり、アメリカの味方か、さもなければ敵という二元法でしか世の中を見ていなかったのだ。ダレス兄弟は、この文脈からインドも味方にはできなかった。
その後も、カストロと対峙しJFK政権でのピッグス湾侵攻作戦は見事に失敗した。転覆工作における軍事作戦は杜撰で、カストロのスパイが反政府組織に紛れ込んで上陸地点まで正確に読まれていたのに、気がつかないという間抜けぶりだった。
結局、戦後アメリカ外交の主役はダレス兄弟だったが、『東西冷戦は過去のものとなった。あの時代のソ連に対する(アメリカの)恐怖心を理解することはもはや不可能かも知れない。ダレス兄弟の活動によって人々の中に恐怖が染みこみ、増幅した(中略)。
アメリカが世界の中で果たすべき役割は神意(プロビデンス)によって定められている』というキリスト教の考えにどっぷりと染まった兄弟は「この世は、善と悪の絶え間ない闘いに満ちていると考えた」(545p)
そのうえ、二人に共通した特徴とは冒頭にのべたS&Cである。
つまり二人は「ウォールストリートの投資家の視点で世界情勢を見た」のだ。
結論はこうである。
「ダレス兄弟の経歴はアメリカの歴史そのものである」
「その後の歴史は、二人の外交に大きな間違いがあった異を示している。しかしその責任は二人だけが負うものではない。ダレス兄弟の世界観はアメリカ国民の世界観の『鏡』なのである」(567P)
本書は592ページの浩瀚、読み終えるのに三日を要したが、通俗の推理小説など色を失うほどに面白く、また渡邊氏の訳文はじつにこなれていた
<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>
コメント