20106 書評『御歴代天皇の詔勅謹解』   宮崎正広

■体系的に歴代天皇の詔をならべてみると深く考えざるを得ない我が国の国風と気風と伝統

<杉本延博『御歴代天皇の詔勅謹解』(展転社)>

神武以来の歴代天皇はいかなる詔を発せられたのか。体系的に時系列に日本史を画した御詔勅を一覧してみると、なるほどその気風、その気概、そして国への思いがひしひしと文面から、その行間から沸き出ずるマグマのように熱く伝わってくる。

まことに「日本の正しい政治のあり方」は、神代より続く詔勅を読み解くことによって見えてくるのである。

序文を寄せた西村真吾氏は言う。

「嗚呼、天皇の詔勅を拝せば、大御心の尊さと日本に生まれてありがたさが心に染みる。この詔勅を憂国の至誠に基づいて世に顕した杉本延博氏に敬意を表する」

幕末の孝明天皇は石清水神宮にお参りし、二つの勅許をだされているが、つづく明治天皇は『王政復古』の詔、五箇条のご誓文、東京遷都、明治改元、廃藩置県、国会開設、徴兵令、地租改正、靖国神社創設、教育勅語、軍人勅諭、憲法発布、皇室典範、日清戦争開戦同終結、遼寧返還、日露戦争、同終戦の詔、ならびに韓国併合ほか、幾多の詔勅を煥発された。

ところが、日本の近年の政治学は、これらを無視するか軽視しての歴史解釈をなしてきた。

したがって戦後の歴史学はレベルが低く、イデオロギー的であっても、学問的ではなく、不毛な歴史を叙した駄作の列を前に、じつは近代史の根幹、その国民精神の精髄は、歴代天皇の詔勅にすべてが籠められていることをわれわれは知るのである。

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