東日本豪雨に伴う鬼怒川の堤防決壊から10日で3カ月となる。深刻な被害を受けた常総市は8日、最後の避難所になっていた石下総合体育館(同市鴻野山)を閉鎖し、避難者は市が用意した2次避難所の旅館に移動した。これで当初あった避難所はすべて閉鎖されたことになる。旅館などでは食事や防寒、プライバシーなどの面で生活環境は向上するが、自宅の修復が進まず、不安を抱く避難者は少なくない。(上村茉由)
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避難者は8日、同体育館から続々と荷物を運び出し、自家用車などで石下地区の旅館に移動。午後3時ごろには全員が体育館を後にした。その数24人。
同市本石下から避難している清掃員の門井通子さん(73)は「寒かったし、最初はプライバシーがなくてつらかったが、だんだん周囲と仲良くなり楽しく過ごした」と約3カ月間にわたる避難生活を振り返った。「楽しく」とは言うものの、もちろん本音は「水回りさえ直れば、すぐにでも帰りたい」。大規模半壊と認定された自宅の修理は業者の予約待ちだという。
若宮戸から避難している無職の男性(79)は、自宅が床上約70センチ浸水した。修復工事は年末までかかるが、「周りには来年までかかる人もいる。ぜいたくは言えない」と不平、不満を口にすることはない。旅館での生活については「温かい食事とちゃんとした部屋があるだけでだいぶ違うと思う」と歓迎した。
同市山口から避難している関喜四郎さん(64)は旅館の部屋に入り「やっぱり個室がいいね。自宅に近くなったのでまめに様子を見にいける」とほっとした様子。自宅の修理は業者の順番待ちで、修理が終わるめどは立っていない。
石下地区以外では、市は水海道地区の3カ所の避難所を1日に閉鎖した。同地区の旅館やホテル3カ所に、8日現在で61人が滞在している。
この時期に避難所を閉鎖したのは、真冬到来で寒さが厳しくなっていることが大きい。加えて、市側には避難生活が長引いている人たちに家族単位で過ごせる場を提供したいとの思いもあった。このため、部屋は原則世帯ごとにしている。
2次避難所に滞在できるのは最大で3カ月。市社会福祉課によると、朝晩の食事は旅館やホテルが提供し、昼食は市が弁当を支給。旅館などの食事代は公費で賄われる。また、定期的に保健師や市職員が巡回し、健康チェックや情報提供などを行うという。
県内の避難者数のピークは鬼怒川の堤防が決壊した9月10日の1万390人で、避難所は35市町村に299カ所設けられた。(産経)
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