20196 最終的かつ不可逆的な解決」とは何か   西村眞悟

■歴史戦という観点から本年を見れば、「攻撃の自由」は常に敵にあった

我が国の内外で使われた「戦後70年」という用語は、日本悪者史観を展開して我が国を攻撃できるという戦略的用語であった。何故なら、この用語の「戦後」とは、第二次世界大戦(大東亜戦争)の「戦後」に限定されており、この戦争は、

「ファシズム=ナチズム=軍国主義 対 自由民主主義陣営の戦争」即ち、「悪 対 正義の戦争」で「正義が悪に勝った戦争」であり、我が国は敗者つまり「悪」であった戦争であるからだ。
 

従って、あの邪悪な共産党独裁国家にして軍国主義かつ帝国主義そのものの中共(チャイナ)も、あたかも正義は我に有りと言わんばかりに対日戦勝利70年記念軍事パレードを打つことができた。そして、その中共に迎合してその軍事パレードを見学していた韓国大統領も朝から晩まで世界中で、「従軍慰安婦=性奴隷」を掲げて日本を非難することができた。

これに対して我が国は、八月の総理談話で「反省」と「おわび」を表明し、こともあろうに、あの村山富市談話を受け継いでいくと申したのである。そして暮れの十二月二十八日、韓国との間で従軍慰安婦問題に関して、総理が「反省」と「おわび」を表明して「最終合意」したのである。

以上の経過を概観すれば、本年(平成27年)は、歴史戦において最低レベルに落ちた年となったと言わざるをえない。村山富市や菅直人や○○等々が、靖国神社に参拝しないのは納得できる。

こんなのが参拝すれば神社が汚れるからである。
  

しかし、靖国神社に参拝できなかったのは痛恨の思いであります、と言った安倍晋三が、  村山富市談話を守ると言いまたもや靖国神社に参拝できずに終える本年は、やはり最低レベルに落ちたのだ。

外務省のもっともらしい言い訳、また、訳知り顔の中共と北朝鮮の脅威に基づく日韓最終決着の必要性論、に素直に納得する必要はない。最低レベルは最低レベルだ、この現実を見つめよう。

そこでこの最低レベルから、来年、如何にして上昇するのか、如何にして我が国は名誉と誇りを回復するのか、このことを強く考えねばならない。

総理も外務大臣も、この度の日韓合意を「最終的かつ不可逆的な解決」と言ったのである。これは何を意味するのか。来年にはこの問題は存在しない、ということではないか。

これが、「最終的・不可逆的解決」である。従って、年、如何に韓国内に反日デモが起ころうとも、韓国政府が如何にそのデモに迎合しようともさらに韓国と中共の反日連携がなされようとも、その連携が台湾やインドネシアに広がろうとも、我が国は断じて、平成二十七年十二月二十八日に「最終的かつ不可逆的な解決」に至ったことを堅持し、一切ぶれてはならない。韓国の運命を決めるのは韓国人なのだから。これ、自業自得。

本年の最終段階でも日韓会談の意義は、かろうじて「この一点」に見いだせるのである。
 

来年こそは、「この一点」を堅持して、英霊と共に我が民族の歴史と誇りを取り戻さねばならない。
 

今、「英霊と共に」と書いた。その意味は、英霊は過去のある日付けの時に亡くなったのではなく、現在の日本と共にあるということである。

英霊と現在に断絶はないということである。この思ひが、歴史戦に勝ち、民族の誇りを子孫に伝える力である。

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