今月11日、人民解放軍は「軍再編」の第2弾として、今までの「4総部」体制を改組し、軍の最高機関・中央軍事委員会に15部門を設ける新体制を発足させた。
再編前の「4総部」体制とは、中央軍事委員会の下で、総参謀部(作 戦・指揮担当)、総政治部(政治思想教育担当)、総後勤部(物資補給担当)、総装備部(装備調達担当)が設けられ、それぞれの分野の軍務を担当する体制だ。その中で、とりわけ総参謀部は作戦の計画作りや実行、諜報など重要な仕事を担当する軍の要(かなめ)であった。
今回の再編のポイントは、今まで相対的に独立した機関として機能してきた上述の「4総部」を、中央軍事委員会直属の1部門として統合する一方、「4総部」の持つ本来の機能を分散させ、軍事委員会の中の15部門 として再編したことにある。
日本の会社体制に例えれば、本社の下の4つの子会社が本社の中の1部署として吸収された上で15の部署に分解された、ということだ。
この再編の意味は「4総部」の力を弱め、それを中央軍事委員会の直接 指揮下に置くことにあるが、習近平主席がこのような改革を断行した背後には、実はもう一つの狙いが隠されているのだ。
実は、今回の再編劇で習主席が狙い撃ちにしたのは、解放軍総参謀長の 房峰輝氏である。
房氏はもともと広州軍区の参謀長であった。2005年に当時の胡錦濤軍事委員会主席(前国家主席)が多くの軍人の階級昇進を実行したとき、房氏は少将から中将へ昇進を果たした。
その後、房氏は胡主席に近い軍人の一人として出世を重ね、07年には重要な北京軍区の司令官に就任。さら に09年、中国が建国50周年を記念して盛大な閲兵式を執り行ったとき、「閲兵指揮官」として胡主席のそばに立ったのは房氏であった。それ以来、彼は数少ない「胡錦濤の軍人」として認知されるようになった。
そして12年10月、胡主席は、軍の総参謀長に房氏を任命。同年11 月には胡主席はさらに軍人2人を党の中央軍事委員会副主席に任命した。
胡主席が行ったこの軍人事は異例であった。なぜなら彼は同月中に開催される党大会で引退する予定だったからである。
本来なら、軍事委員会の新しい副主席や総参謀長任命の人事は、党大会後に誕生する新しい総書記・軍事委員会主席(すなわち習近平氏)の手で行われるべきだが、胡主席はそうさせなかった。
自分の引退が決まる党大会開催の直前に、彼は大急ぎで次期中央軍事委員会の主要メンバーを決め、軍の心臓部門となる総参謀部を自分の腹心で固めた。それによって、ポスト胡錦濤における胡錦濤派の軍掌握は完成された。
今の習主席にとって、軍の中枢部におけるこのような「胡錦濤人事」は 邪魔以外の何ものでもない。
いずれそれを潰さなければならないと思っていたはずだ。しかし房氏などの首を切ることで決着をつけようとすると、 胡錦濤派との「全面戦争」は避けられないし、必ずしも習主席に勝ち目が あるわけでもない。
そこで習主席の取った方法が、「軍改革」の大義名分の下、総参謀長の房氏の首を切らずに、総参謀部そのものの力をそいで軍事委員会の直接指揮下におくことだ。これでは胡錦濤派も反対できない。
自分の引退が決まる党大会開催の直前に、彼は大急ぎで次期中央軍事委員会の主要メンバーを決め、軍の心臓部門となる総参謀部を自分の腹心で固めた。それによって、ポスト胡錦濤における胡錦濤派の軍掌握は完成された。
今の習主席にとって、軍の中枢部におけるこのような「胡錦濤人事」は 邪魔以外の何ものでもない。いずれそれを潰さなければならないと思っていたはずだ。しかし房氏などの首を切ることで決着をつけようとすると、 胡錦濤派との「全面戦争」は避けられないし、必ずしも習主席に勝ち目が あるわけでもない。
そこで習主席の取った方法が、「軍改革」の大義名分の下、総参謀長の房氏の首を切らずに、総参謀部そのものの力をそいで軍事委員会の直接指揮下におくことだ。これでは胡錦濤派も反対できない。
自分の引退が決まる党大会開催の直前に、彼は大急ぎで次期中央軍事委員会の主要メンバーを決め、軍の心臓部門となる総参謀部を自分の腹心で固めた。それによって、ポスト胡錦濤における胡錦濤派の軍掌握は完成された。
今の習主席にとって、軍の中枢部におけるこのような「胡錦濤人事」は 邪魔以外の何ものでもない。いずれそれを潰さなければならないと思っていたはずだ。しかし房氏などの首を切ることで決着をつけようとすると、 胡錦濤派との「全面戦争」は避けられないし、必ずしも習主席に勝ち目があるわけでもない。
そこで習主席の取った方法が、「軍改革」の大義名分の下、総参謀長の房氏の首を切らずに、総参謀部そのものの力をそいで軍事委員会の直接指揮下におくことだ。これでは胡錦濤派も反対できない。(産経)
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