20260 書評 クリス・スピルマン監修『朝鮮雑記』   宮崎正広

■イザベラ・バードの『朝鮮紀行』に先んじた朝鮮観察

<本間九介著 クリス・スピルマン監修『朝鮮雑記』(祥伝社)>

副題は「日本人が見た1894年の李氏朝鮮」となっている。

この幻の名著が、じつに120年ぶりに現代語訳、そして近代史研究の泰斗、スピルマン教授の解説によって再登場した。それだけでも意義が深い。

原著は明治27年に出版され、当時ベストセラーとなったばかりか、著者は内田良平らと交遊し、また与謝野鉄幹との接点もあったらしい。

この本がなぜ面白いか。

それは当時の朝鮮半島の政治経済軍事を高みから見るのではなく庶民の生活に入り込み、寺子屋風景や、町の様子、末端の暮らしぶりを目撃し、実感し、なかなかの名調子、漢文の素養も豊かでなかればつづれないような迫力に富む描写も多い。

くわえて、著者の観察は、かのイザベラ・バードの『朝鮮紀行』に先んずること四年、先駆的な作品であることに着目するべきである。

イザベラ・バードから引用して、当時の朝鮮情勢を述べた論考は夥しいが、今後は本書の引用を先にするべきではないかとさえ思う。

評者(宮崎)がとりわけ注目したのは、朝鮮半島で暮らす当時の無知蒙昧なる末端庶民の「文化生活」である。

なんと朝鮮には「新聞」がなく、仁川と釜山ででていた新聞は日本語。つまり日本人経営の新聞であったこと、そしてソウルをのぞいて朝鮮には書店がないという、その文化力の程度の低さである。

ソウルに二軒か三軒の書肆(本屋)とて、「そこで売っているのは、多くが零本欠冊(巻数がそろわず端本ばかり)にすぎない。(中略)内地の人々は、行商人が、『通観節要』『孟子諺解』など、二、三の本を、市の立つのを待ち受けて、はじめて買い求める」(143p)というほど文化的に殺風景だったのだ。

さて原著を著した本間九介なる人は、どういう人物か?

あの戊辰戦争で少年隊の悲劇を生んだ二本松出身、本名は安達某。いくつかのペンネームがあり、青雲の志を抱いて半島へ渡り、いわば民間の情報マン、内田良平らの流れが満州へ渡って『大陸浪人』を輩出させるが、その文脈から言えばさしずめ「半島浪人」。

酒が好きで、詩を読み、なんとなくボヘミアン風。そして朝鮮人の奇妙は風俗を描く。それは愛妻・妾らを客に提供するという珍妙な奇譚、風習や暖色。当時の売春屈の実態など

およそ政治論が触れない社会の底辺も観察していることである。

むろん、日本人居留地の実態、ビジネスと差別、村落の構造、冠婚葬祭にも多くの筆が割かれている。

スピルマンは監修の言葉のなかで、こう言う。

「当時、アジア主義という思想を抱いていた一人の若い日本人が、国家の近代化とは何か、欧米の帝国主義とアジアの関係はいかにあるべきかといった、壮大な問題について思索を巡らせながら」、書かれた、と。

その同時代性、そして西欧文明と対峙する、あるいは対極として鎖国の朝鮮半島が歴史的に多くを依存してきた、朝鮮の背後にあって軍事的庇護者でもあった清王朝を頼り、それがやがては日清戦争に繋がっていくのだが、その前夜の風雲急を告げる国際情勢が背景にある。

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