二月十七日から二十六日まで「特別展 ゆきお絵展IN結城」が結城市市民情報センターで開かれる。足腰が弱った私だから行くことは出来ないが、古沢元・真喜文学碑の建立で杉浦さんには建立委員長を引き受けて頂いた。
杉浦さんについて語ることが多すぎて何から書いたら戸惑う。
■杉浦幸雄(すぎうら ゆきお、1911年6月25日 – 2004年6月18日)=旧制郁文館中学を卒業後の1929年から漫画家岡本一平に師事。
1932年には近藤日出造・横山隆一らと漫画プロダクション「新漫画派集団(現・漫画集団)」を結成。ナンセンス漫画のブームを起こした。
「フクちゃん」もので一躍有名になった横山隆一に対して、似顔絵ものが得意だった近藤日出造は政治漫画を志し、杉浦幸雄は女性漫画を描かせたらオレしかいないという存在になると誓った。
戦前から銀座を愛した風流人。杉浦幸雄は女性漫画のモデルは愛妻トン子が最初だったが、やがて銀座の女性たちをモデルにして女性の艶やかさ、嫌らしさをあますところなく漫画化している。
1938年から『主婦の友』に発表した『銃後のハナ子さん』が大ヒット。この作品は後に轟夕起子主演で映画化された。
1940年に発足した新日本漫画協会の機関紙『漫画』にもナンセンス漫画を発表。
戦後に発表した『アトミックのおぼん』や『軽風流白書』辺りから、ユーモアとエロティシズムを融合させた風俗漫画的な作風となっていく。その後も『淑女の見本』(岡部冬彦との合作)、『面影の女』などの作品を発表。2004年、92歳で肺炎のため死去する直前まで執筆し、生涯現役を貫いた。また、戦前から活動していた最後の漫画家の一人だった。
受賞・受章歴は、1956年、文藝春秋漫画賞、1959年、毎日新聞社賞、1980年、紫綬褒章、1985年、日本漫画家協会賞特別賞、勲四等旭日小綬章。
■杉浦漫画の女性モデルはトンコ夫人(2009.12.30 Wednesday name : kajikablog)
漫画界の大御所・杉浦幸雄さんが亡くなって久しい。女性を描かせたら”日本一”という漫画家だった。自ら女性礼賛論者と言ってはばからなかった。だが杉浦さんが描いた”女性像”には変遷がある。
戦前の「主婦の友」に連載で発表した「銃後のハナ子さん」が人気を呼んで、女優の轟夕起子さん主演で映画化された。”ハナ子さん”のモデルは轟夕起子さんと言われたものだが実は違う。
杉浦さんの亡妻・富子夫人がモデルであった。通称”トンコちゃん”・・・信州・長野市の歯医者さんの次女だった。
昭和7年のことになるが、杉浦さんと横山隆一、近藤日出造、杉浦幸雄、中村篤九、秋吉馨、岸丈夫、大羽比羅夫、石川進介、小山内龍さんらが東京・銀座で新漫画派集団の旗揚げをしている。いずれも「漫画・漫文」という独自に世界を切り開いた岡本一平さんを慕って集まった青年漫画家たち。
青年漫画家たちの作品は一年後に横浜の文座書林から発刊された「新漫画派集団 漫画年鑑」に出ている。初版一五〇〇部、定価二円、151ページの本で、東京・神田の岡倉書房が発売元になったが、今では貴重本になっていて、神田の古書店をめぐっても入手できない。
編集後記を父の古沢元が書いた。「ほんの僅かばかりの編集経験があるのと、一寸した面識があると云うことから委嘱された・・・」と述べている。ここに出ている岸丈夫は古沢元の実弟。岸夫人の泰子さんは、東京の音楽学校をでた声楽家なのだが、信州・長野市の歯医者さんの長女であった。
その次女”トンコちゃん”が新漫画派集団に遊びにきているうちに杉浦さんが見染めた。独身時代の”トンコちゃん”の写真がわが家にあったが、スラリとして陽気なモダン・ガール。おまけに飛びっきりの美人だったから、杉浦さんが”トンコちゃん”の虜(とりこ)になったのは無理もない。
私が子供の頃、東京・世田谷の杉浦邸に行くと杉浦さんは「カー君」を連発していた。娘さんと男の子が可愛い盛りであった。「銃後のハナ子さん」が人気を呼ぶと、父と母は「カー君漫画だ」と笑っていた。お転婆で、しかし家庭をしっかり守る理想的な女性像が描かれている。
戦後になると「ハナ子さんもの」が少し変わる。お転婆なところは変わらないが、妖艶さが加わった。私はモデルが轟夕起子さんに代わったな、と感じた。「アトミックのおぼん」の漫画がそれである。この頃から杉浦さんの銀座のバア通いが始まっている。健気な女性像を銀座で働く女性たちに求めたのであろう。戦後の混乱がまだ続いていた。
やがて杉浦漫画の女性像が、さらに変わった。杉浦さんのお伴をして銀座のバーに何度か行ったことがあるが、家庭では「カー君」を連発している杉浦さんの目が妙に鋭く、優しい仕草をみせながら、怖い感じを受けた。外では照れもせずに”女性礼賛論者”と言い放ちながら、女性の”業”といったものに目をそそいでいる。
■曾野綾子さんの杉浦漫画評
そのことを、最初に指摘したのは作家の曾野綾子さんではないかと思う。杉浦漫画を評して「杉浦さんがここ数年間・・・延々と書いてこられた女性は、その無知、狡猾、ハレンチ、欲張り、動物的(人間的にあらず)だらしなさ、無能さ、お人好しの点において、まさに目を覆わしむるものがあった。
この方、ツワモノである。真実を描いてゾーとさせ笑わせる。単なる漫画ではない。人間洞察であり、文明批評である。一九六〇年代の全女性のテキとして、昭和史に名をとどめるに値する」と言っている。
杉浦さんと東北旅行をしたことがある。日本の女性は世界で一番、綺麗だという。色白でしっとりとしたキメの細かい肌は世界のどこにもないと言い切る。トンコ叔母はまさにそのすべてを備えていた信州美人。またカー君自慢が始まったと背中がむず痒くなった。
そのうちに「古事記の漫画を書きたい」と言う。古事記はエロチシムズの世界だという。翌年の年賀状に「古事記の漫画化は、まだ構想の中」という走り書きがあった。それを果たせずに2004年、92歳で亡くなった。あの世で「カー君」を連発しているのだろうが、古事記の漫画化を一生懸命に考えているのだと思っている。
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