20362 『新撰姓氏録』と大和民族の起源   古沢襄

平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、京および畿内に住む1182氏を、その出自により「皇別」「神別」「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにしている。

ウイキペデイアによると筆頭にあげられた「皇別」の姓氏とは、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族のことで、335氏が挙げられている。

代表的なものは、清原、橘、源(みなもと)などがある。

皇別氏族は、さらに、皇親(「真人」の姓(カバネ)をもつ氏族)とそれ以外の姓をもつ氏族に分かれる。

「神別」の姓氏とは、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族のことで、404氏が挙げられている。

神別姓氏は、さらに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した際に付き随った神々の子孫を「天神」とし、瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫を「天孫」とし、天孫降臨以前から土着していた神々の子孫を「地祇」として3分類している。

「天神」に分類された姓氏は藤原、大中臣など246氏、「天孫」は尾張、出雲など128氏(隼人系の氏族は天孫に分類される。)、「地祇」は安曇、弓削など30氏がある。

「諸蕃」の姓氏とは、渡来人系の氏族で、秦、大蔵など326氏が挙げられている。

諸蕃氏族は、さらに5分類され、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。

また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。

■皇別

息長真人、山道真人、坂田酒人真人、八多真人、三国真人、路真人、守山真人、甘南備真人、飛多真人、英多真人、大宅真人、大原真人、島根真人、豊国真人、山於真人、吉野真人、桑田真人、池上真人、海上真人、清原真人、香山真人、登美真人、蜷淵真人、三島真人、淡海真人、三園真人、笠原真人、高階真人、氷上真人、岡真人、息長丹生真人、多治真人、為名真人、春日真人、高額真人、当麻真人、文室真人、豊野真人、酒人真人、為奈真人。

源朝臣、中原朝臣、良岑朝臣、長岡朝臣、広根朝臣、春原朝臣、三原朝臣、永原朝臣、橘朝臣、淡海朝臣、阿部朝臣、布勢朝臣、完人朝臣、高橋朝臣、許曽倍朝臣、阿閉臣、竹田臣、名張臣、佐々貴山公、膳大伴部、阿倍志斐連、石川朝臣、田口朝臣、桜井朝臣、紀朝臣、角朝臣、坂本朝臣、林朝臣、道守朝臣、雀部朝臣、生江臣、布師首、箭口朝臣、多朝臣、小子部宿祢、吉備朝臣、下道朝臣、御使朝臣、犬上朝臣、坂田宿祢、間人宿祢、新田部宿祢、大春日朝臣、小野朝臣、和安部朝臣、和尓部宿祢、櫟井臣、和安部臣、葉栗臣。

吉田連、丸部、丈部、下毛野朝臣、上毛野朝臣、池田朝臣、住吉朝臣、池原朝臣、上毛野坂本朝臣、車持公、大網公、桑原公、川合公、垂水史、商長首、吉弥侯部、甲能、葛城朝臣、稲城壬生公、小槻臣、牟義公、守公、治田連、軽我孫、鴨県主、八多朝臣、巨勢朝臣、巨勢斐太臣、平群朝臣、平群文室朝臣、都保朝臣、高向朝臣、田中朝臣、小治田朝臣、川辺朝臣、岸田朝臣、久米朝臣、御炊朝臣、玉手朝臣、掃守田首、佐味朝臣、大野朝臣、垂水公、田辺史、ほか 。

■神別

藤原朝臣、大中臣朝臣、中臣酒人宿祢、伊香連、中臣宮処連、中臣方岳連、中臣志斐連、殖栗連、中臣大家連、中村連、石上朝臣、穂積朝臣、阿刀宿祢、若湯坐宿祢、舂米宿祢、小治田宿祢、弓削宿祢、氷宿祢、穂積臣、矢田部連、矢集連、物部肩野連、柏原連、依羅連、柴垣連、柴垣連、柴垣連、登美連、水取連、大貞連、曽祢連、越智直、衣縫造、軽部造、物部、真神田曽祢連、大宅首、猪名部造、大伴宿祢、佐伯宿祢、大伴連、榎本連、神松造、日奉連、県犬養宿祢、大椋置始連、雄儀連、竹田連、掃守連、小山連、畝尾連、久米直、浮穴直、宮部造、間人宿祢、爪工連、多米連、出雲宿祢、出雲、入間宿祢、佐伯連、伊勢朝臣、若倭部、尾張宿祢、伊福部宿祢、湯母竹田連、竹田川辺連、石作連、檜前舎人連、榎室連、丹比須布、但馬海直、大炊刑部造、坂合部宿祢、額田部湯坐連、三枝部連、奄智造、額田部、石辺公、采女朝臣 ほか。

■諸蕃

太秦公宿祢、秦長蔵連、泰忌寸、文宿祢、武生宿祢、桜野首、伊吉連、常世連、山代忌寸、大崗忌寸、楊侯忌寸、木津忌寸、木津史、浄村宿祢、清宗宿祢、清海宿祢、嵩山忌寸、栄山忌寸、長国忌寸、清川忌寸、新長忌寸、当宗忌寸、丹波史、大原史、桑原村主、下村主、上村主、筑紫史、吉水連、牟佐村主、和薬使主、大石、和朝臣、百済朝臣、百済公、調連、林連、香山連、高槻連、広田連、石野連、神前連、沙田史、大丘造、小高使主、飛鳥部、高麗朝臣、豊原連、福当連、御笠連、出水連、新城連、高史、日置造、福当造、河内民首 ほか。

■私が興味をもったのは、「諸蕃」でくくられた渡来人系の氏族。326氏が挙げられ、それが、さらに5分類されて、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。

だが、近年発達したDNA鑑定によると支那からの「漢」、朝鮮半島からの「百済」「高麗」「新羅」「任那」が意外と少ない。

むしろシベリアのバイカル湖周辺から渡来した北方系のブリアート・モンゴルと、原日本人の遺伝子が共通している。

■松本秀雄・大阪医科大学名誉教授が、抗体を形成する免疫グロブリンを決定する遺伝子(Gm遺伝子)頻度が民族ごとに固有の値となり、民族を示すマーカーとなるという仮定に基づき、東~東南アジアを中心に130の集団から約20,000人の血清資料を採集(シベリアの少数民族の血清はソ連科学アカデミーからのり提供)調査した結果、日本人の起源は基本的に北アジアであり、特にシベリアのバイカル地方の可能性が高いとみた。

なお、遺伝子の決定は血清に対する抗原抗体反応によって行われた。松本はGm遺伝子から日本人の起源について以下の研究結果を出した。

1.Gm遺伝子の分布によって、モンゴロイドは、「南方系」と「北方系」に大別される。そして、日本人のほとんどは「北方系」である。南方系モンゴロイドとの混血率は低く7~8%以下である。

2.日本人は、北海道から沖縄に至るまで、基本的に北方型の遺伝子を持ち、ことGm遺伝子に関する限り、アイヌと島嶼を除き、顕著な等質性を示した。

3.アイヌと沖縄・宮古の人々は他の日本人集団よりも北方型遺伝子の一つの頻度が高く、南方型遺伝子の一つの頻度が低い等、幾分の相違を示し、その両者は特に等質性が高い。

4.台湾の土着の民族や約300年前に南中国から移住した人々の子孫である台湾人を調べると、典型的な南方系モンゴロイドのパターンを示しており、沖縄やアイヌの人々とは高い異質性を示している。

5.朝鮮民族は、朝鮮半島(韓国)の人々と中国の朝鮮族とは高い等質性が認められ、日本人と同じように北方系モンゴロイドに属するGm遺伝子パターンを持つが、日本人以上に南方遺伝子の頻度が高く、日本人との異質性が存在することから、当初は日本民族と非常に近い遺伝子パターンを持っていたが、中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などによって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血をする機会がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

6.中国の場合は、Gm遺伝子の頻度分布に、南北方向の勾配がみとめられる。漢民族の場合は、「北方型」と「南方型」の二つの型の存在を考えないと、分布パターンの説明が難しい。

以上のような研究結果から、日本民族に高頻度に見られるGm遺伝子パターンの特徴は、バイカル湖畔のブリアート・モンゴルをピークとして四方に流れており、蒙古、朝鮮、日本、アイヌ、チベット、イヌイットに高頻度で、その源流はバイカル地方とするのが妥当であると推定した。

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