一晩中、わが先祖たちの夢をみていた。「お迎えにきたのかい」と問うと「もう少し、この世で番をしてくれ」。
四年前にあちこちに散らばっていた先祖たちの墓を東北の菩提寺の墓地に一つの墓にしてまとめた。わが先祖たちは北の雫石から沢内に移村してきたのは江戸期の1700年頃。初代古沢屋善兵衛から私まで十代、およそ300年前のことになる。
先祖たちの墓は雫石の広養寺、沢内の有力者の墓がある墓地群、父と母の遺骨・遺品を納めた川崎の墓、父が眠るシベリアの日本人墓地・・それを菩提寺の墓地にまとめるのは容易なことではなかった。
シベリアの日本人墓地には二度行ったが、厚生労働省による遺骨収集作業はまだ終わっていない。父が出征前に残した遺髪と爪をとりあえず納めた。
わが娘たちは他家に嫁しているので、沢内古沢家は私の代で絶家となる。一種の義務感もあって菩提寺に墓を建立したが、沢内に住む古沢一族の人たちが墓の掃除をしてくれている。有り難いことである。
ことし六月には菩提寺に行って古沢元・真喜文学碑を詣で、先祖たちの墓に花と香華を手向けたい。
当分は”お迎え”が来そうもない。
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