■「ピケティなる偽物をありがたがった日本のメディアのおめでたさ 左翼主義を隠して格差を論じた左翼亜流が流行の議論を展開したにすぎない
<田中英道『戦後日本を狂わせた反日的歴史認識を撃つ』(展転社)>
日本が戦後醜く歪められたのはGHQの占領政策による。
とくにOSSが昭和17年にはやくも立案していた「日本洗脳政策」に占領政策の元凶をもとめることが出来るが、ユダヤ系左翼を主体とする日本改造という大陰謀は、日本の歴史、伝統、そして日本人の性格、気質と対決するものだったため、時間はかかったが、ほぼ否定されてきた。
キリスト教徒を日本国民の7千万人とするなどと途方もない野望も霧の中に消えた。
しかし、敗戦直後にどっとはいってきた欧米の「哲学」「歴史」「社会学」などが恰も先進的進歩的な学問であると早トチリして、我先にと便乗したブンカジンが多かった。
いつの時代にも二流の学者や批評家がいるものである。
かれらの表した書物への批判と通して、現代日本の置かれた思想的立ち位置を本書は、おおくの書物への批判を用いて炙り出し、追求している。
「憲法、財閥解体、農地改革、公職追放、神道改革、教育改革など、戦後2年間でできることは、GHQのケーディス、ラウエルら左翼たちがここぞとばかりに、この機会を利用して日本を変えようとした。政治家もジャーナリストも、それが理想社会の到来とばかりに宣伝し、論文を書き、民主主義の名の下に共産化しようとした。制度的にはある程度、成功しているのだが、結局は何一つ実現しなかった。日本の伝統と文化がそれを阻止したのである」。
しかし、憲法がまだ残っている。田中氏はつづけて、こう言う。
「左翼の人々が、現在でもまだこの共産化の失敗を認めず、大きな議論にしたくないのは、ソ連が崩壊したように自らも崩壊するという恐れを感じているからである」。
そうだ。かれらは思想的破綻を認めずに、ある人は保守を偽装し、あるいは経済畑へ逃げ込んで「新自由主義」「国境のない市場」とかの旗を振っている。
日本改造指令はCIAの前身OSSが立案し、日本をかれらの理想モデルに一方的に改造しようとした。そのOSS文書はちゃんと公開されているのに、左翼メディアは一切取り上げない。
隠したいからである。
つまり、「左翼の活動は常に大多数の国民の支持によって行われたものではなく、少数のイデオローグがいかに多数派を動かすかという戦術を編み出していたことを暴露しているからである」
こうした貴重から本書ではハーバードの左翼知識人、ジョン・ダワーに代弁される日本悪魔論、「地球市民」というまやかし、マクグローヒル社の歴史教科書の日本部分の改竄などが俎上に載せられ徹底的に批判される。
ジョン・ダワーなど、いまさら聞きたくもない名前、聞いただけで耳が汚れるように思うひとも多いだろう。この延長上にあるのが朝日、岩波、そうした左翼媒体に集う偽知識人らで、逐一名前を挙げなくてもおわかりだろう。
さて評者(宮崎正広)が、とくに注目したのは、トマ・ピケティへ鋭い批判と分析だった。
一時はフラフープのように売れて、話題となり、いまは誰も顧みないピケティだが、かれの「所得格差」とは、いったい何のための議論だったのか?
「ひたすら格差を強調する目的で、所得最上位置の状況分析ばかりをすることに、実現性のない意図的な作為が感じられる」
いや、ピケティは社会的混乱を意図して書いている可能性がなきにしもあらずで「国家が税を取ることばかりに固執すれば経済の停滞を招くし、規制社会の現出を招く。それは失敗した社会主義の二の舞になり、社会は疲弊する」
ピケティの論理的破綻は明らかとなる。
かれの論考の前に、思い出すのはハイマン・ミンスキーである。ミンスキーは「資本主義が金融危機を自らから起こす」という考えをしており、「ヘッジ金融、投機的金融、ボンジー金融という三つの債務者のタイプを分析、設定し、資本主義の内在的な問題から、金融危機を引き起こすメカニズムを説明した」。(ミンスキーの本は「1998年に起きたロシアのデフォルトで注目され、リーマンショックで急に評価が高まった」(99p)という経過がある。
ピケティの考え方は、このミンンスキー理論の延長戦上にあり、このふたりに共通するのは「資本主義そのものに内在的欠陥があるということで、金融危機と分配の格差が恒常的に存在するということだ。市場のメカニズムだけでは解決できない」。
しかし、かれの処方箋なるものは「人間の顔を持つ資本主義」とかの抽象論でしかなく、まさに「解決策のない不毛の格差告発の書」だと断じている。
なんとなくヒラリーを猛追するアメリカの社会主義者サンダーズの貌を連想してしまった。
「解決策のない不毛の格差告発」がサンダースの得意技だったっけ。
ピケティなる偽物をありがたがった日本のメディアのおめでたさ左翼主義を隠して格差を論じた左翼亜流が流行の議論を展開したにすぎない
<田中英道『戦後日本を狂わせた反日的歴史認識を撃つ』(展転社)>
日本が戦後醜く歪められたのはGHQの占領政策による。
とくにOSSが昭和17年にはやくも立案していた「日本洗脳政策」に占領政策の元凶をもとめることが出来るが、ユダヤ系左翼を主体とする日本改造という大陰謀は、日本の歴史、伝統、そして日本人の性格、気質と対決するものだったため、時間はかかったが、ほぼ否定されてきた。
キリスト教徒を日本国民の7千万人とするなどと途方もない野望も霧の中に消えた。
しかし、敗戦直後にどっとはいってきた欧米の「哲学」「歴史」「社会学」などが恰も先進的進歩的な学問であると早トチリして、我先にと便乗したブンカジンが多かった。
いつの時代にも二流の学者や批評家がいるものである。
かれらの表した書物への批判と通して、現代日本の置かれた思想的立ち位置を本書は、おおくの書物への批判を用いて炙り出し、追求している。
「憲法、財閥解体、農地改革、公職追放、神道改革、教育改革など、戦後2年間でできることは、GHQのケーディス、ラウエルら左翼たちがここぞとばかりに、この機会を利用して日本を変えようとした。
政治家もジャーナリストも、それが理想社会の到来とばかりに宣伝し、論文を書き、民主主義の名の下に共産化しようとした。制度的にはある程度、成功しているのだが、結局は何一つ実現しなかった。日本の伝統と文化がそれを阻止したのである」。
しかし、憲法がまだ残っている。田中氏はつづけて、こう言う。
「左翼の人々が、現在でもまだこの共産化の失敗を認めず、大きな議論にしたくないのは、ソ連が崩壊したように自らも崩壊するという恐れを感じているからである」。
そうだ。かれらは思想的破綻を認めずに、ある人は保守を偽装し、あるいは経済畑へ逃げ込んで「新自由主義」「国境のない市場」とかの旗を振っている。
日本改造指令はCIAの前身OSSが立案し、日本をかれらの理想モデルに一方的に改造しようとした。そのOSS文書はちゃんと公開されているのに、左翼メディアは一切取り上げない。
隠したいからである。
つまり、「左翼の活動は常に大多数の国民の支持によって行われたものではなく、少数のイデオローグがいかに多数派を動かすかという戦術を編み出していたことを暴露しているからである」
こうした貴重から本書ではハーバードの左翼知識人、ジョン・ダワーに代弁される日本悪魔論、「地球市民」というまやかし、マクグローヒル社の歴史教科書の日本部分の改竄などが俎上に載せられ徹底的に批判される。
ジョン・ダワーなど、いまさら聞きたくもない名前、聞いただけで耳が汚れるように思うひとも多いだろう。この延長上にあるのが朝日、岩波、そうした左翼媒体に集う偽知識人らで、逐一名前を挙げなくてもおわかりだろう。
さて評者(宮崎正広)が、とくに注目したのは、トマ・ピケティへ鋭い批判と分析だった。
一時はフラフープのように売れて、話題となり、いまは誰も顧みないピケティだが、かれの「所得格差」とは、いったい何のための議論だったのか?
「ひたすら格差を強調する目的で、所得最上位置の状況分析ばかりをすることに、実現性のない意図的な作為が感じられる」
いや、ピケティは社会的混乱を意図して書いている可能性がなきにしもあらずで「国家が税を取ることばかりに固執すれば経済の停滞を招くし、規制社会の現出を招く。それは失敗した社会主義の二の舞になり、社会は疲弊する」
ピケティの論理的破綻は明らかとなる。
かれの論考の前に、思い出すのはハイマン・ミンスキーである。ミンスキーは「資本主義が金融危機を自らから起こす」という考えをしており、「ヘッジ金融、投機的金融、ボンジー金融という三つの債務者のタイプを分析、設定し、資本主義の内在的な問題から、金融危機を引き起こすメカニズムを説明した」。(ミンスキーの本は「1998年に起きたロシアのデフォルトで注目され、リーマンショックで急に評価が高まった」(99p)という経過がある。
ピケティの考え方は、このミンンスキー理論の延長戦上にあり、このふたりに共通するのは「資本主義そのものに内在的欠陥があるということで、金融危機と分配の格差が恒常的に存在するということだ。市場のメカニズムだけでは解決できない」。
しかし、かれの処方箋なるものは「人間の顔を持つ資本主義」とかの抽象論でしかなく、まさに「解決策のない不毛の格差告発の書」だと断じている。
なんとなくヒラリーを猛追するアメリカの社会主義者サンダーズの貌を連想してしまった。
「解決策のない不毛の格差告発」がサンダースの得意技だったっけ。
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