東日本大震災の発生から5年になるのを機に、「トモダチ作戦」に参加した当時の在日米軍司令官や、来日して生存者の捜索に当たった米捜索救助隊メンバーが産経新聞の取材に応じた。「日本人の強靱(きょうじん)な心に打たれた」「真のヒーローは自衛隊」。困難な任務を振り返る関係者の証言から、日米の絆の深さが改めて浮き彫りになった。
「津波で破壊された建物は、どこもかしこも不安定な状態だった。頭の上からガラスや、がれきが落ちてくるのを気にしながらの危険な捜索活動だった」
米バージニア州フェアファクス郡捜索救助隊に登録するドッグ・トレーナーのエリザベス・クライトラーさんが振り返った。震災2日後の2011年3月13日に青森県の米軍三沢基地に到着して約1週間、岩手県大船渡市と釜石市で捜索に携わった。
パートナーは捜索犬のラッカー。被災地で生存者を見つける捜索犬は、一刻も早く多くの生命を救うことができるよう、遺体の臭いに気付いても無視するようにしつけられている。
地震だけの災害と異なり、津波によって流された被災地での捜索とあって任務の範囲が広く、困難を極めたという。ベビーパウダーを飛ばし、わずかな風の流れによって生存者がいる場所を見つけていった。
フェアファクス郡とカリフォルニア州ロサンゼルス郡の捜索救助隊は米政府機関、国際開発庁の国際災害支援部隊に指定されている。世界各地で起きる大規模災害に24時間体制で備えており、01年9月11日の米同時中枢テロやハイチ地震など、多くの被災現場への出動実績がある。東日本大震災では両郡から148人、捜索犬12匹が被災地に派遣された。
「3時間以内に世界のどこにでも赴ける態勢を取っている。チームの一員として日本で捜索救助活動に従事できたことは誇らしい」
クライトラーさんと同じ期間、来日して人命救助に当たり、現在はフェアファクス郡捜索救助隊長を務めるロドニー・ボーンさん(43)が、捜索用カメラや救命ボート、発電機などの装備品が収納された捜索救助隊の倉庫で語った。
クライトラーさんも、いつ出動命令が出てもいいように備品を整え、毎週、訓練施設に積まれたがれきから生存者を捜す訓練をラッカーとともに受けている。
現場は2人にとって、これまで目撃してきた数多くの悲惨な被災地のうちの一つだが、津波によって何もかも破壊され、流されてしまった被災地の景色が忘れられないという。
ボーンさんは、「活動に関する調整が難しい国もあるが、日本の場合にはすべてが組織だっていて、切れ目のない対応が可能だった」と振り返る。
「被災しても前向きで心が折れない強靱さに強い印象を受けた」。そう語ったクライトラーさんは東北からの帰国後、当時の藤崎一郎駐米大使から隊員一人一人が受け取った手紙とメダルを、今でも宝物のように大切にしている。
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コメント
「公的思念」が突如国民に現れてくる。神戸大震災の時も同じでした。