■中国人の歴史家が古代から残忍な国民性をあばく たとえば明は「ごろつき王朝」であった事実の検証
<張宏傑『中国国民性の歴史的変遷(専制主義と名誉意識)』(集広舎)>
浩瀚な書物なので、翻訳者は四人いる。小林一美、夛田狷介、土屋紀義、藤谷浩悦の各氏、何れも中国学者だ。
中国人の国民性というのは多用多彩であり、そもそも中国は国家ではなく、王朝であり、地域的特徴が強すぎるため、総括的な国民性というのは存在しない筈である。
だから評者(宮崎正広)などは『出身地でわかる中国人』(PHP新書)や『出身地を知らないと中国人は分からない』(ワック)などといった本を書いた。
北京は愛国という概念が唯一通じる特殊地域で、『愛国』なる商売もみごとに成り立つ。上海は、国際感覚があり、つねに反北京である。この上海人脈が過去二十年にわたり中国を壟断した。だから拝金主義が蔓延したのである。
広東人は朝から晩まで金儲けにしか関心がない。湖南は乱暴者が多く、安徽省はやや正直な人も目立つ。四川省は独立不羈の根性があるなどと、地域別の色分けをしたのが拙著だったが、うってかわって本書は「中国人の国民性」という、つかみ所のない領域に足を踏み入れて、名誉とか品位とか、かれらにとって架空の概念を論じているのだから、反面で興味をそそられた。
著者の張氏は、これを古代からの「専制主義」にもとめ、近代になって梁啓超、魯迅、胡適、孫文から蒋介石、毛沢東へと繋がる政治思想を再検討してゆくなかで、「名誉」を意識する動機、あるいは「品位」を意識した考え方を検証している。
梁啓超、魯迅、胡適、孫文、蒋介石、毛沢東と、いずれの人物も「岩波新書」が列伝を出したような有名人である。
ま、それはそれとして、「明」を、著者がいかに位置づけるか。
それがじつに面白いのである。すなわち明とは「ごろつき王朝」だと断言するのだから、うすうすそうだろうとは思っていたが(ついでにいえば現在の毛沢東王朝後期もごろつき集団の独裁である)、中国人歴史家から、断定されると、二重に納得がいく。
「明代の国民性」は「ごろつき」「ならず者」で、最大の特徴と言えば「殆どの全ての社会階層が『ゴロツキ』の様相を呈していた」
永楽帝は「表面的には正義感があり仁愛を装って唐の太宗を大いに真似ていたが、実は骨の髄からのならず者だった」
その子孫たちも侵略、略奪、燎奪を繰り返し、恐怖の政治を加速させ、そして縦横にスパイ機関をつくって官吏を監視した。それが「錦衣衛」である。
本書は詳細にわたり、かれらが行った略奪、拷問、殺戮、そして大虐殺のさまを描く。
小説家がえがく架空の話ではなく、日本人からみれば想像を絶する残虐性が、リアルに語られている。
蛇足だが翻訳者を代表する解説を読んで驚いた。自虐史観の持ち主のようで、現実を無視したイデオロギー的解釈で日中関係を議論されている。トここまで書いてきた新聞をみたら次期駐北京大使は外務省チャイナスクールから撰ばれた由である。
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