20803 書評『疾風に折れぬ花あり』   宮崎正広

■戦国の多くの謎を解明しつつ、清楚な生き方をもとめた女性を描く傑作 数奇な運命をたどった武田信玄の息女はいかにして嵐の中を生き延びたか

  
<中村彰彦『疾風に折れぬ花あり』(PHP研究所)>

信長がもっとも恐れたのは武田信玄だった。信長は長男の信忠と信玄の五女、松姫との婚姻を早々と決めていたほどだった。

家康はひたすら信玄を畏怖し、その赤揃いの騎馬軍団を真似たうえ軍法も取り入れた。家康は武田の遺臣団を千名近く、のちに徳川軍団に入れて戦闘力を高めた。

舞台は甲州躑躅館から高遠城、新府城、そして笹子峠、大月、八王子へと到る街道を著者は正確にトレースし(このルートは勝頼逃亡のそれ)、情景描写に土地の特色を効果的に配置させながら、八王子の景色、川の流れ、人々の情緒、農家の暮らし向きが活き活きと描写している。

波瀾万丈、疾風怒濤というのは概して戦国武士の物語に使われる語彙だが、ここでは織田信長の侵攻によって次々と武田の領地が蚕食され、新府城撤退後は武田の騎馬兵団が消滅し、忠臣らが陸続と寝返り、あるいは逃亡し、最後は天目山において武田勝頼は自害する。

この勝頼夫妻の悲惨な最後は小山田らの裏切りにもよったが、武田信玄の息子、孫らはほぼ根絶やしとなった。武田の菩提寺、恵林寺は焼き払われ八十四名の僧が焼死した。

この時代、「戦国大名として名をなした者たちには、ある国人が服属を申し入れてくると、その国人がこれまで持っていた知行地を奪い、別の知行地を与えようとする傾向が強かった。こうすることによってその国人がこれまで培ってきた地縁血縁を断ち切ってしまったほうが自分への銃属性が強まるからだ」

奇跡的に逃避行に成功したのが美貌の才女、信玄の五女『松姫』である。織田信忠の嘗ての許嫁である。

本書はその松姫の生涯を幾多の物語を輻輳させながら、誕生から最後までを見届ける。松姫をまもりぬく側近らも、活き活きと描かれていて、その表情がよみとれるようだ。どのような資料を参考にしたのか著者の筆力は冴える。

その戦国を生き抜く逞しい生活力と智恵には唸らされる場面も多い。

意外だったのは松姫が逃亡の果てにたどりついた八王子で殖産興業のミニチュアともいうべき養蚕の事業に乗り出し、また藍染めを学んだことだった。じつに緻密に著者は、この養蚕、藍染めの過程を描写する。

さて驚きはまだまだ続く。

甲州制圧以後、地域の覇者となる家康が、武田の血筋を引く女性を側室に迎えるべく、家康の密偵等が松姫の逃亡先の周辺をうろつき、それではと松姫の侍女たちが「武田ゆかりの女」「信玄の六女」と偽って松姫を守るために家康の閨にはいる。そして子を産むのである。

また松姫を援助した一人が家康によって八王子代官に任ぜられた大久保某(武田の猿楽師のせがれ)だった。後の大久保長安である。かれは甲州金山、佐渡金山を開発し徳川の財力を確乎たるものとするだろう。

静という下町の下級武士の裔が登場する。彼女は奇跡的な人生の転戦から、秀忠の側室にあがり、男の子を産んだ。

秀忠の正室・江は信長の妹・市が産んだ女で、美貌だが嫉妬深く、この秀忠と静との間に生まれた男を消すために陰謀をめぐらせた。

密かに大奥を出た静は子を流産させ、静謐な生活に戻ろうとするが、秀忠はあきらめない。やがて大奥へ再登城し、またも懐妊した。

静は妊娠を隠して実家に戻るが、実家からも追い出され、ついに頼った先が、松姫だったのだ。

この奇縁をもって、物語は大団円をむかえる。

いうまでもなく、松姫が守った秀忠の子、やがて高遠城へ武田の養子となって保科の後継になり、後日、三代将軍となった家光が自分の実弟であると知って、会津二十三万石の藩主となる。やがて?川の統治に、事実上の宰相として四半世紀以上にわたり辣腕を振るった保科正之そのひとに他ならない。

手に汗握るサスペンスがつづき、長編ながら一気に読んだ。爽快感が残った。

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