20837 信州上田の月窓寺に葬られている祖母   古沢襄

風がでてきた。雨もパラついてきた。四月の病院通いが一段落したので”鰻重”でも食べに出たいところだが、自宅で有り合わせのもので間に合わせるしかない。

九州・熊本大地震の被災者のことを思えば贅沢は言っておれない。

病院から戻ったら、親戚・知人から相次ぐ電話が掛かってきた。ブログを読んでくれている。

NHKドラマ「真田丸」を観た従妹が、信州上田の月窓寺(げっそうじ)が出ていたと教えてくれた。

この月窓寺は海野一族の真田幸隆公の弟・隆永公が開基している。山門は竜宮門(鐘楼門)で天井には龍の鏝絵が描かれている。

従妹と私の実祖母・静司は、この寺の墓地に葬られている。静司祖母は上田小町と評判だった商家の一人娘。

祖母は明治二〇年(1887)に生まれ。上田北小学校を卒業すると、明治三十四年(1901)創立の上田女学校に進学している。この上田女学校が長野県立上田高等女学校になったのは、明治四十四年(1911)。静司は第三回の卒業生。

戦時中に上田に疎開した時には、お盆の季節に月窓寺に行って一族の墓地を詣でて花とお線香を供えた。長野県士族だった一族の墓地は、それなりの大きな構えをしてある。

上田に行くことがあたっら、月窓寺に行って静司祖母の墓に花とお線香を供えようと思っている。

月窓寺の境内には上田出身の様式兵学者。「赤松小三郎」の墓もある。

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