20843 若き命を散らした予科練を悼み、鎮魂の日々   古沢襄

犬の散歩で親しくなった人が二階のベランデで北東の方をよく眺めていた。

「いやあー、学徒出陣で予科練の教官になったのですが、フロートのついた水上機で着水の時が一番緊張した」

「その予科練の教え子が特攻機に乗って出陣して帰らぬ人になったのがつらい」

「死遅れたのですよ」と立教大学OBの元教官殿は、生き残りの予科練と時々会合を開いて鎮魂の想い出を語っていた。この人にとって戦後になっても予科練は生きていた。

旧制上田中学から予科練に行って戦後、復員したOBの先輩を知っている。敗戦で荒れた学生生活を送っていた。”与太練(よたれん)”と陰口と言われていたが根は優しい正義漢だった。

そんな話を元教官殿にしたら

「士官になれる海軍兵学校の受験まで待っていれないと、予科練に入った者もいるのですよ」と元教官殿が語ってくれた。

その予科練があった茨城県に私は住んでいる。

予科練の正式名称は「海軍飛行予科練習生」。昭和五年に霞ヶ浦海軍航空隊として設立された。敗戦まで二十四万人が入隊、特別攻撃隊として出撃したものも多く戦死者は1万9千人。

平和な日々を送る戦後だが、元教官殿と同じように若き命を散らした予科練を悼み、鎮魂の日々を送っている。

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