20844 シベリアの土となった日本将兵   古沢襄

敗戦でシベリアに抑留された日本の将兵は五十七万五千人。帰国がかなわずシベリアの土となった人は六万四千人。

一九九二年に初めてシベリア墓参団に参加し、その数年後に厚生省主催の墓参団に二度目のシベリア墓参で最高齢者ということで私が墓参団長になった。

シベリア特有の驟雨が降る中、ウランウデ944特別軍病院墓地で鎮魂の碑文を読んだ。

シベリア墓参の二回の旅をした私だが、合わせてほぼ二〇日間。ウラジオストク、ハバロフスク、イルクーツク、ウランウデ、リストビヤンカ、ニジネウデインスク、タイシェットの戦没者慰霊の旅となった。

■「さらば祖国よ 栄えあれ」(2012.05.24 Thursday name : kajikablog)古沢襄

日本人墓地で遺骨を掘り起こし、祖国に帰還させる厚生労働省の事業が続けられているが、戦後七十年近い歳月が経ったので、遺骨を受け取る遺族の消息が掴めない状況が生まれている。

満州の広野にソ連軍が侵攻してきたのは、昭和20年8月9日。

終戦の一週間前である。日ソ中立条約の自動延長を行わないとソ連側から廃棄通告してきたのが、四ヶ月前の4月5日、在モスクワの佐藤駐ソ大使は条約第三条の規定に「廃棄通告は期間満了の一年前」と記されてあるので、この点をモロトフ外相に質すと「条約の失効は一年後のことになる。ソ連の中立義務に変化はない」と答えた。外交的にみれば、日本はソ連の不意打ちを食らったことになる。

終戦当時の関東軍の配備は次のようなものである。

主要兵団は24個師団、9混成旅団、1機動旅団で、兵員70万。抽出によって弱体化した関東軍を補強するため、支那方面から4個師団が満州方面に転用されている。

激戦地の国境地帯では、8月末から捕虜となった関東軍将兵のシベリア移送が始まっていた。9月3日には関東軍の武装解除が行われ、将兵は敦化など27カ所の中間集結地に集められて1000人程度の大隊編成で10月末までに続々とシベリア各地に送られた。新京にあった将官クラスは9月6日にハバロフスクに連行。

シベリアで死亡した日本人の墓地数も埋葬人数も不確定のままである。多くの遺骨の所在も分からないまま原野と化し、山林や農地になったところも少なくない。

昭和50年に引揚援護局は、ソ連地域の州別日本人死亡者の調査を発表したが、それによるとソ連全土の日本人墓地数は332カ所、埋葬人数は4万5575人で、少なく見積もっても1万5000人以上が不明のままである。

ソ連の東洋アカデミーのキリチェンコ研究員は、シベリア抑留について「64万人を抑留し、そのうち6万4000人が死亡した」と述べている。

シベリア各地を回ると、必ずといっていいほど、個人で墓参の旅をしている遺族に会った。

バイカル湖の湖畔にあるリストヴヤンカの日本人墓地には、横浜から来たという清楚な夫人が男の子と女の子を連れて、亡くなったご主人の墓に詣でていた。北辺のタイシェットでは第二シベリア鉄道の草むらに立った「友よ安らかに眠れ」と墓標の前で、数人の戦友が祈りを捧げていた。

異境に眠る人たちのことを忘れては、平和日本が成り立たない。玄界灘を輸送船で大陸に渡った時に、去っていく日本の山々をみながら「さらば祖国よ 栄えあれ」と一斉に歌ったという。

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■六万余の日本人将兵が眠るシベリア各地の墓地(2015.02.02 Monday name : kajikablog)古沢襄

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<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>

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