20898 抵抗の文学 浅草の「染太郎」   古沢襄

五時半、杖なしで愛犬のリールを引き、不燃ゴミを持って散歩に出た。曇り空、サングラスもいらないくらい。腰の痛みはもうない。

愛犬バロンは可愛い。朝の会話は一人と一匹の間で交わす。何か催促している。水かと思ったら、ドッグフード。少し与える。

朝食は鮭を焼いて昨夜の余りご飯。食欲がやたらと出てきた。昔の鮭は薄かった。貧乏人の食べ物は薄い鮭と相場が決まっていたように思う。いまは厚手の紅鮭、滅多にお目にかかれない。

京都から「京小梅」が届いた。小梅は固いカリカリ梅風が多いが、京小梅は肉が軟らかい。これはこれで美味しい。

ご飯のおかずというよりは、食後のお茶のお茶請けに向いている。静寂な一時。

梅もいいが、甘いものが欲しい。酒をやめているせいだろう。九時にマイカーで一〇分ぐらいのところにある和菓子屋がそろそろ店を開く。

だが浅草の「いも羊羹」の方が良い。長い間、仲店通りで親しまれてきた味。七味唐辛子も浅草ものがいい。伝統の味、旧友に教えらて病みつきになった。味噌汁にもひとかけ、これで味が決まる。

浅草には昔からの店気質があるそうだ。馴染みのフグ屋の説。

第一に麗々しく表通りには店を構えない。ちょっと引っ込んだところで、さりげなく常連客を迎える。馴染みの客を大切にする。

第二に宣伝下手。いつ馴染み客がきても座れる席を用意してある。あまり客が殺到するとその席がなくなる。

弱肉強食の世の中で、よくも、こんな昔気質が続くものだ。浅草は大都会の中の「大きな田舎」なのかもしれない。

昭和作家・武田麟太郎が主催した「人民文庫」に集まった作家たち、高見順、新田潤らは浅草を愛した。庶民の街。

高見順が通った浅草の「染太郎」というお好み屋に行ったことがある。武田麟太郎、平林彪吾、上野壮夫らの二世と一緒だった。

お好み焼きをつまみにして、酒やビールを飲むただそれだけの店だったが、戦前の疾風怒濤の時代に作家たちは身を寄せ合って抵抗の文学を守ろうとしていた。

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