「神話」はその国の建国の歴史に深い関わりを持っている。多くは文字を持たない時代に口伝で言い伝えられたものだが、北アジア史を概括するとユーラシア大陸を駆け巡った古代トルコ民族の雄大な足跡をみることが出来る。
漢字は黄河流域の漢民族文化だが、そこに匈奴の祖先である「丁霊、堅昆、高車」といった遊牧国家群の名が残されている。
この遊牧国家群はオリエント文明の影響を受けた古代トルコ民族の末裔が作ったのが定説となっている。
突厥、鉄勒、高車、丁零、そして匈奴と日本人にはなじみの薄い北アジアの国家群だが、司馬遼太郎は代表作「坂の上の雲」や「菜の花の沖」を書きながら、この”北アジア史的なもの”を考え続けていたという。
私も二度にわたったシベリアのバイカル湖旅行で、日本人と寸分も変わらぬブリヤート・モンゴル人に触れて、司馬遼太郎が北アジア史的なものに惹かれた気持ちが分かる気がした。
少し飛躍するかもしれないが、およそ一億二〇〇〇年から一億三〇〇〇年前にシベリアのバイカル湖周辺にあったブリヤート人が東進し、地続きのサハリン、北海道を渡って日本にやってきたと想定されている。
その数は七〇〇〇人前後という推定値もある。縄文遺跡から発掘された人骨のDNA鑑定をすると、ブリヤートとほとんどが一致するという。
このブリヤートは日本列島を南進して九州まで及んでいる。だから北方系の遺伝子はブリヤートのものが、日本人に色濃く反映されたとみていい。
日本列島にはやがて中国の江南からブリヤートよりも高度の文化を持った渡来民が渡ってきている。
稲作技術と鉄器を使用する民族である。これが弥生人の原形なのであろう。DNA鑑定でブリヤートの次に多いのが江南人のものとなっている。
熱しやすく祭り好きの江南人の性格は九州人と似ているそうだ。
ところが不思議と朝鮮半島に人たちのDNAは少ない。朝鮮半島で最初の統一国家となった古代新羅王朝と古代日本の関係は意外と薄い。
神話時代の古代出雲国が新羅と交流があったというのは明らかだが、DNA上では少ないのは不思議である。
大阪外語蒙古学科を出た司馬遼太郎は、<シベリアには森林(タイガ)や河川で原始的な狩猟採取の生活をしているひとびとだけでなく、大小の遊牧集団も住んでいた。その最大のものが、バイカル湖畔に遊牧するブリヤート・モンゴル人だった。低地モンゴル人といってもいい。だからモンゴル高原のモンゴル人とは、別に考える必要がある。>と述べた。
さらに司馬遼太郎は<バイカル湖を中心に展開する高地には、古代中国の視野に、丁霊、堅昆、高車といった諸遊牧国家が存在していた。
やがてかれらは匈奴に屈服し、併合された。(中略)バイカル湖西方のイエニセイ川右岸草原にミヌシンスク遺跡が発見され、これによってシベリアに紀元前三〇〇〇年というふるい時代に西方のオリエント文明の影響をうけた青銅器文化が存在していたことがわかった。>と指摘している。
司馬遼太郎の「ロシアについて」は1986年の作品だが、その後2001年に佐賀医科大学がDNA鑑定によって「日本人はバイカル湖畔のブリヤート人との共通点が非常に多く、朝鮮人、南中国人、台湾人などと共通する特徴を持ったのが各1体だったのに対して、ブリヤート人とは17体近くが共通していた」と発表した。
北方系日本人のルーツがシベリアのバイカル湖にあるということが科学的分析で立証されたことになる。
大胆な仮説を立てれば、バイカル湖周辺は約二万年前に人もマンモスも住めない極寒の時代を迎えて、ブリヤート人暖かい土地を求めて東進を始めた。
この人たちは一万三千年前には、シベリアのアムール川周辺に到達し、さらに地続きのサハリン、北海道を経て、まず本州の津軽地方に姿を現した。
この一万三千年前というのは地球が氷河期から温暖期に入る境目の時期になる。
日本列島に渡ったブリヤート人は海を渡ってシベリアの大地に戻るよりも日本列島を南下し、縄文人の祖先となったと考えるのが妥当であろう。
さらに想定を重ねると氷河期のブリヤート人は東進する道のほかに、南下する道もあったのでないか。そこには極寒であったかもしれないが、夏には草地が甦るモンゴル平原が広がっている。
それが匈奴の祖先である丁霊、堅昆、高車といった遊牧国家となり、モンゴル帝国を築いたのではないか。史料が乏しい古代史には推理小説を読み解くような楽しさがある。
だが北アジア史のほとんどが未解明だといえよう。いずれも文字を持たない草原の遊牧国家であった。高車、丁零の呼び名は、漢字文化を持った「魏書」や「北史」にわずかに出てくるに過ぎない。
■「獣祖神話」を書いたことがある。遊牧民の古代トルコ民族は”言い伝え”で狼祖神話を遺した。
ジャーナリストになってからは、北アジアの「獣祖神話」に興味を駆られて資料を集めては閑さえあれば読んだものである。
代表的なのは古代トルコ民族の狼祖神話。五世紀のはじめからモンゴル高原の北部に住み、アルタイ山脈の西方に「高車・丁零(こうしゃ・ていれい)」という古代トルコ民族の遊牧国家があったが、その始祖伝説はオオカミに関するものがある。
作家・井上靖は「蒼き狼」の小説を書いたが、ジンギス汗の征服欲の根源は、蒼き狼の血だとしている。モンゴル神話では蒼き狼と白い牝鹿とが天の命でやってきて、生まれた最初の人間が「バタチカン」だと伝えている。蒼き狼の名はポルテ・チノ、白い牝鹿の名はコアイ・マラル。
ポルテ・チノの狼血が、ジンギス汗に流れた説は、狼始祖史料「モンゴルの秘められた史(ふみ)」にある。
実は、もう一つの犬始祖伝説がある。ジンギス汗は、むしろ蒼き狼の血統ではなくて、黄色い犬の血統だという。チベットでは「蒙古人の祖先は犬」だという。一方モンゴルでは「チベット人の祖先は猿」。
ところが古代の漢民族や朝鮮民族には「獣祖神話」がない。
あるのは「感精(かんせい)神話」。感精とは超自然力の天降る霊物などを意味している。日本の天孫降臨(てんそんこうりん)神話は、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(邇邇藝命・ににぎ)が、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという感精神話。
「感精神話」の代表的なものとして、朝鮮半島で初めて統一王朝を作った新羅の建国神話がある。
<新羅には古くから六村があった。それぞれの村では聖地や聖山へ村長の始祖が天から降臨してきた。前漢の地節元年(紀元前69)三月に六村の長が君主を迎えて国を建てようとした。
その時、異様な気配がして、いなずまのようなものが天から地に垂れていた。一匹の白馬がおじぎをしている。一個の紫の卵があった。卵から童子が現れ、湯浴みすると全身が光り輝いた。六村の人たちは「天子はすでに天から降ってきた」と喜んだ。>
また高麗の僧一然が編纂した「三国遺事」では、民間信仰の檀君神話を取り上げている。ここでは熊が人間になって天子の子を生むという「獣祖神話」と「感精神話」の混合になっている。
<天神桓因の子・桓雄は人間世界を治めるため、太伯山の頂上に降りてきた。(=感精神話)その時同じ穴に住んでいた熊と虎が、桓雄に祈願して人間になるための修行をした。虎は途中で修行を放棄したが、熊は修行をおえて人間の女になった。やがて桓雄と結婚して、檀君王倹を生んだ。(=獣祖神話)>
檀君神話は平壌地方の民間信仰の一つと言われるが、熊が人間となって、天神の子を生む伝承は高句麗などツングース系の始祖神話に通じるものがある。熊にたいする信仰は北方系民族に広く分布し、日本でもアイヌの信仰の的となった。
万里の長城を越えて”明”を滅ぼし清国を作った女真族は、ツングース系の民族で勇猛でもって知られ、西のモンゴルと激しく戦った。その女真族が作った金という国の始祖神話に日本の羽衣伝説に似たものがある。
<その昔、長白山の湖に三人の天女が舞い降り、水浴びをして遊んだ。その時、カササギが赤い実をくわえてきたのを、一番下の妹の天女だけが食べてしまった。妹は身ごもり、そのために再び天にかえることもできなくなった。
そして天女は赤子を生んだが、その子は、大変聡明で利発な子に成長し、やがて川を下っていって、人々を治めるようになった。それが、女真族の始祖プクリ・ヨンジュン。>
国によって神話の内容は様々だが、その民族が国家形成に至る物語として、やはり面白い。
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