20920 日本最大の大断層系・中央構造線   古沢襄

午前三時半、強い南風が雨戸を揺らしているので目が覚めた。茨城メロンを食べながら居間で様子をみる。血圧は143~77,高いが数日前までは150以上で下がらなかったから少し改善された。足の浮腫は変わらない。

体温は36・5度で平熱を維持し腰痛は治まっている。

九州熊本を中心とする地震が頻発しているが、私が気になるのは長野県から関東に伸びている日本最大の大断層系・中央構造線。

西南日本を縦断する大断層系・中央構造線は1885年(明治18年)にハインリッヒ・エドムント・ナウマンにより命名された。中央構造線を境に北側を西南日本内帯、南側を西南日本外帯と呼んで区別している。一部は活断層。

構造線に直接接している岩石は、内帯側はジュラ紀の付加複合体が白亜紀に高温低圧型変成を受けた領家変成帯、外帯側は白亜紀に低温高圧型変成を受けた三波川変成帯である。

領家変成帯には、白亜紀の花崗岩も大量に見られる。高温低圧型の領家変成帯と低温高圧型の三波川変成帯は、白亜紀の変成当時は離れて存在していたはずだが、中央構造線の活動により大きくずれ動いて接するようになった。

糸魚川静岡構造線(糸静線)より東のフォッサマグナ地域では、フォッサマグナの海を埋めた新第三紀の堆積岩に覆われているが、第四紀に大きく隆起している関東山地では古第三紀以前の基盤岩が露出し、その北縁の群馬県下仁田町に中央構造線が露出している。

もっと分かり安く言うと、北アルプス山系が出来たことと関係がある。

山脈が出来たのは、第三紀で、活動期は2つに分けられる。最初の隆起活動は250万年前から150万年前に活発で、次の活動期は80万年前以降。

北アルプス山系にどのような力が加わって隆起が起こったのか。その力が大きければ大きいほど、日本列島に及ぼす影響は大きい。

■断層が動く地震で日本最大の大断層系・中央構造線(2016.05.05 Thursday name : kajikablog)

先月22日の長野県北部を震源とする地震で断層系と地震の因果関係をあらためて知った。専門家は糸魚川静岡構造線(糸静線)の北部で断層が動いたと指摘している。

アルプスの沿って日本中央部を縦断する糸魚川静岡構造線のことは、かねてから地震と断層に関心を持つ者には知られていたが、この断層系が一斉に動くのは歴史上ないとして私たちは軽くみる傾向があるのではないか。

日本列島で関東から九州へ連なる最大の大断層系・中央構造線のことも一般にはあまり知られていない。しかしウイキペデイアによると、有史以来、この中央構造線の線上でマグニチュード7・0クラスの大地震が発生している。もちろん関東から九州へ連なる大断層系が一斉に動くことはなかった。

しかし私たちは学説上のこととして片づけずに、基礎知識として中央構造線のことを知っておく必要があるのではないか。日本列島を縦断する糸魚川静岡構造線の北部で断層が動いたことは、将来、列島横断の大断層系・中央構造線でも断層が動く可能性を示唆している。

とくに慶長年間の1596年に発生したマグニチュード7・0の慶長伊予国地震は、3日後に豊予海峡を挟んで対岸の大分でマグニチュード7・0~7・8慶長豊後地震に波及し、さらに翌日にマグニチュード7・0~7・1の慶長伏見大地震となっている。広域型の連動型地震の怖ろしさは言うまでもない。

20世紀以降、中央構造線で発生した地震は6件。

1916年(大正5年) 新居浜付近 – M 5.7
1916年(大正5年) 熊本県中部 – M 6.3
1975年(昭和50年) 阿蘇北部 – M 6.1
1975年(昭和50年) 大分県中部 – M 6.4
1979年(昭和54年)7月13日 伊予灘 – M 6.1
1983年(昭和58年)3月16日 静岡県西部 – M 5.9

やはり中央構造線上で断層が動くとマグニチュード6~7クラスの大地震が発生しているから軽視するのは禁物である。

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