20940 中国の「犬肉祭り」に思うこと   古沢襄

ロイター・コラムでKim Kyung-Hoon氏が伝えた中国玉林市の犬肉レストラン。

[玉林(中国)25日 ロイター]ハンマーで殴られて気絶させられ、絞め殺される犬たち。その後、丸焼きにされ、吊るされた状態で店頭などに並ぶ。この光景は、中国南部の広西チワン族自治区玉林市では、夏の「風物詩」となっている。

「犬肉祭り」はこの5年ほどの間で、中国国内でますます物議を醸している。愛犬バロンは家族の一員、家族を食べることなど思いもよらない。こんなに可愛くて忠実な家族を食べるのは人食い人種ではないか。

縄文人は野山を駆け巡って狩りをする時に犬は友として扱った。しかし大陸から来た弥生人たちは農耕を主としたから犬の力を借りない。食犬の風習は弥生人が持ち込んだものであろう。赤犬は美味しいとまで言った。

「犬を食べるのと、牛や豚や羊など他の家畜を食べるのと何が違うんだ」。地元住民のニンさんはこのように話す。

ニンさんには、玉林市郊外の美しい農家で出会った。家族や友人と共に、この「伝統的なごちそう」を食べるために当地を訪れたという。犬肉は豚肉と野菜、そして地元で作られたライチ酒と一緒に出される。

写真は撮らせてくれなかったニンさんだが、「皆と同じように、自分も子供のころに犬を飼っていた。私たちはペットの犬と食用の犬を区別している。犬肉は日常の食卓にのぼるものではない。大半の人は年に数回、特別な日に食べるだけだ」と説明した。

多くの住民は、この伝統がメディアの報道によって誤って伝えられていると不満を口にした。玉林市を訪れる前、私は同僚から、こうした感情から写真を撮るのは難しいかもしれないと言われていた。

しかし、私と同僚のテレビカメラマンは、街を案内してくれるという地元住民に会うことができた。

彼は初めに、私たちを小さな犬肉レストランに連れて行った。昼時は過ぎていたが、店は客でにぎわっていた。

「犬肉はおいしいし、体にいい。なぜ中国人はこの伝統をやめなくてはいけないのか」と多くの客が言った。

文化の多様性という点から言えば、彼らの主張も無理からぬことだと言えるかもしれない。だが、犬肉処理場と市場を見て、私は考え直した。

暗くて粗末な処理場の裏通りでは、耳をつんざく犬の断末魔の叫びが聞こえた。地面は血の海だった。そこには、殺された犬たちが積み上げられていた。

犬肉処理者と販売者は、写真を撮ろうとする者には誰に対してもとても攻撃的な態度を見せた。彼らは私たちに罵声を浴びせ、犬肉処理者の1人は大きな木の棒で私たちを追い払おうとした。

動物の権利に対するこのような彼らの無知と虐待が、インターネット上で多くの中国人を、犬肉祭り廃止を求める署名へと駆り立てた。

生きた犬が売買される市場とは、かくも悲惨なものなのか。雑種の、たいていは薄茶色と黒色の犬が、小さなおりに目一杯詰め込まれている。玉林市の住民たちは、こうした毛色の犬の方が他の犬よりもおいしいと好むという。

私は写真を撮る間、とても慎重にならざるを得なかった。

一部の犬は見るからに病気で弱っていて、ひどい扱いを受けていたように見えた。暑さにやられ、恐怖におびえた犬たちは、狭いおりのなかで息を切らしていた。業者は犬を荷物のように扱っていた。

この市場は、犬肉食を支持する人たちと動物愛護活動家との戦いの場となっている。

数十人の動物愛護活動家がやって来て、犬を助けるべく業者から買い取ろうとしている。しかし最初に活動家が直面するのは、犬肉食を支持する一部の怒った住民からの反発だ。犬肉祭りが始まった朝、活動家たちは市庁舎前に反対の横断幕を掲げた。

犬肉を食べることの是非について、私は判断を差し控えたい。ただ私がつらいのは、犬たちが食肉処理されるひどい環境と、殺される前の扱われ方だ。犬が人間の最良の友だと思おうが思うまいが、このような扱いを受けて当然だとは思わないだろう。(ロイター)

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