2006-08

未分類

135 咲かない百日紅 渡部亮次郎

百日紅は、さるすべりと読む。樹皮がはげおちたあと、滑らかな幹をみせるので、木登りが上手なはずの猿も滑り落ちると考えたのだろうか。<サルスベリ(猿滑り) CrapeMyrtle 樹皮がはげおちたあと、滑らかな幹をみせるミソハギ科の落葉低木また...
未分類

134 「キタイ」と「チャイナ」 古沢襄

ロシアに行くと中国のことを「キタイ」と呼ぶ。モンゴルも「キタイ」だ。欧米では「チャイナ」、トルコは「チン」というそうだ。戦前の日本は「支那」と呼んでいた。いずれも蔑視用語でもなければ差別用語でもない。支那大陸の三〇〇〇年の歴史から取った呼称...
未分類

133 幻の大野・河野内閣 古沢襄

佐藤栄作の周辺に言わせれば「院外団あがりの大野伴睦と容共左派の河野一郎の内閣の可能性などは、これぽっちも無かった」ということになる。私たちも大野伴睦こと伴(ばん)ちゃんが総理になる様では、日本の保守政治も終わりだと思っていた。それにも関わら...
未分類

132 推理小説の読み過ぎだね 古沢襄

半世紀も経つと東京の風景も一変している。新橋駅で国電を下りて虎ノ門に向かって歩くと最初の交差点の角に日石ビルが立っていた。右折して間もなく左手にNHKの旧社屋があった。さらに日比谷に向かって歩くと左手に共同通信社と時事通信社が同居した市政会...
未分類

131 政界は怨念の場でもある 古沢襄

「ピンさん」こと福田一(元衆院議長)は同盟通信社の元政治部長。大野伴睦の側近議員といわれたが、重厚な人柄で人望があった。私の政治記者駆け出し時代には、ピンさんのところで政界情報を教えて貰ったものである。選挙が弱いので落選するのだが、その時は...
未分類

130 四十六年前の右翼襲撃事件 古沢襄

七月十四日というのは忘れられない日である。四十六年前のこの日、私の目の前で岸首相が右翼に襲撃された。当日は私が岸番に当たっていた。速報を義務付けられている通信社記者としては岸首相から離れるわけにいかない。この日、自民党の総裁選で官僚派が推す...
未分類

129 安倍短期政権論序説 渡部亮次郎

安倍晋三(あべしんぞう、昭和29年(1954年)9月21日-)は、1954(昭和29)年9月21日:東京都に安倍晋太郎 洋子夫妻の次男として生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。成蹊小中高を経て、平沢勝栄を家庭教師に迎え、19...
未分類

128 組織人間の次ぎに誰が来るのか 古沢襄

八月はクーラーのきいた書斎でシベリアに抑留された日本人の記録を丹念に読み返す習慣がついて半世紀が過ぎた。最初の一〇年間は抑留から帰国した人たちの記録を集めたり、直接会って帰国話を聞いてメモをとったりした。最近の一〇年間はシベリアに二度、墓参...
未分類

127 五輪目前反日小休止 渡部亮次郎

中国事情に詳しい友人山本善心氏は時局心話會のホームページ  の週刊「木曜コラム」<第94号>2006.08.18号によると中国共産党では小泉首相の8月15日靖国参拝、「ポスト小泉」への対応・対策についての情報交換、分析、方針などをまとめるた...
未分類

126 靖国神社参拝再考 渡部亮次郎

1.靖国神社へのA級戦犯の合祀は1978年秋だったが、新聞には出ず、大きく出たのは79年4月、春の例大祭の前であった。そのためか78年8月8日に日中平和友好条約締結交渉に訪れた園田直外務大臣に対して華国鋒国家主席、鄧小平副総理、黄華外相はこ...