未分類 211 落日の旧田中派 古沢襄 自民党の党三役の一角から津島派(旧田中派)が姿を消した。党内では森派に次ぐ第二派閥。森前首相は幹事長候補に同派の久間章生総務会長と額賀福志郎防衛庁長官の二人を数えていた。中川秀直政調会長は森派だから、総裁と幹事長は同一派閥から出さないという... 2006.09.25 未分類
未分類 210 急展開する造反議員の復党 古沢襄 郵政政局で造反、無所属に追いやれた平沼赳夫氏ら十三人は安倍総裁の強い意向で早ければ十月、遅くとも年内に復党が実現する見通しとなった。安倍総裁の意向を受けて、復党工作を水面下で行っていた中川政調会長は「無所属議員が院内会派をつくれば、閣外協力... 2006.09.24 未分類
未分類 209 自分で潰した社党内閣 渡部亮次郎 昭和22(1947)年4月25日、私は小学校6年生になったばかりだった。この日、第23回、敗戦後としては2回目の衆議院議員総選挙が行われ、あろうことか、日本社会党が第1党となり、史上初、労働者と農民の党が政権を握った。片山哲内閣の成立である... 2006.09.24 未分類
未分類 208 本格的な芝居をみたい 古沢襄 民主党の魅力はスマートな都市型政党にあった。都市というと東京、大阪などの大都市を連想するが、地方も大なり小なり都市化が猛烈な勢いで進行している。市町村合併によって、その動きが加速されいる。都市化が進行すれば地方中核都市を囲んだ都市と農村の新... 2006.09.24 未分類
未分類 207 一皮めくれば、”修羅の顔” 古沢襄 安倍総裁という主がいなくなった東京では派閥の親分衆が騒がしい。もっとも河口湖に押し掛けたマスコミ各社が、別荘に入れて貰えないので、情報の取りようがないから、在京の親分衆を取り囲んで、あれこれ言わせているだけのことである。親分衆もマスコミを使... 2006.09.23 未分類
未分類 206 冴えわたる麻生節 古沢襄 河口湖の別荘に籠もった安倍自民党総裁は、党役員人事と組閣人事で仕上げの構想を練っている。玄人筋の予測は中川幹事長、与謝野官房長官に収斂されて、麻生氏は重要閣僚として入閣ということのようだが、手固い人事だとは思うもの、清新さに欠ける面があるこ... 2006.09.23 未分類
未分類 205 参院選、小沢役立たず 渡部亮次郎 「参院選は民主党が敗北します」というメイルが2006年9月22日に届いた。それを友人に伝えたら、折り返しのメイル。<自民が出す政策に、民主がより良い対案を出して競い、結果として、私たち国民が「民主党政権の方が幸せになれる」と実感した時、民主... 2006.09.22 未分類
未分類 204 森・小沢・綿貫の意外な関係 古沢襄 新聞やテレビには出てこないのだが、森前首相、小沢民主党代表、綿貫国民新党代表と羽田元首相、渡部民主党国対委員長の五者が、月に一回ぐらいの割合で定期的に会合している。いずれも衆院当選十三回の古参議員、かつては自民党で同じ釜の飯を食った仲である... 2006.09.22 未分類
未分類 203 「ママを返すからね」と吉田首相 古沢襄 吉田首相の孫が吉田太郎ではなく、なぜ麻生太郎なのかとよく聞かれる。私には昭和二年生まれの従兄の弁護士がいた。お互いに大酒飲みで週に二回は、築地の寿司屋で酒を酌み交わしたものである。酔うと弁護士は私のことを「ご本家様」という。私も「分家の昭二... 2006.09.22 未分類
未分類 202 三越天皇「なぜだ!」 渡部亮次郎 デパートといえば、東京では三越が代表していた。戦前から「今日は帝劇、明日は三越」(その逆だったかもしれない)が金持ちを象徴するキャッチ・フレーズだった。確かに高島屋とか松坂屋とかもあったが、「一流」は三越だった。それが三越の天皇といわれた社... 2006.09.21 未分類