未分類 191 満蒙開拓って? 渡部亮次郎 私の少年の頃(1940年代)、まだアメリカとの戦争が始まってない時代に、大人たちの会話に満蒙開拓(まんもうかいたく)という言葉が盛んに出てきた。行くか、行かないかの論議だった。それは具体的には満蒙開拓移民(まんもうかいたくいみん)のことだっ... 2006.09.16 未分類
未分類 190 味噌で命拾い 渡部亮次郎 お袋は98まで生きて、私は顔はお袋似と人に言われる。顎の短いところなどそっくりだなと、最近、鏡を見ながら思う。2年前の1月半ば、老人ホームの自室でトイレに座ったまま、多分、心筋梗塞で一瞬のうちに死んだ。死ぬまでボケなかった。東京の私の電話番... 2006.09.15 未分類
未分類 189 劇場型選挙か組織選挙か 古沢襄 来年の参院選の前哨戦と位置づけられた衆院神奈川16区と大阪9区の統一補欠選挙が10月10日告示、同22日投票で行われる。これは安倍次期首相にとって初の国政選挙だが、両選挙区とも自民党議員の死去に伴う補欠選挙だから落とせない。一方、代表に無競... 2006.09.15 未分類
未分類 188 竹中氏の参院議員辞職の裏側 古沢襄 竹中平蔵総務相が安倍新内閣の発足を機会に参院議員も辞職することになった。前回二〇〇四年参院選挙に比例代表で出馬、七二万二五〇五票でトップ当選したが、任期を三年残しての議員辞職。一二万三五二一票の次点で泣いたプロレスラーの神取忍さんが繰り上げ... 2006.09.15 未分類
未分類 187 北一輝や北昤吉のDNA 古沢襄 もう二十数年前のことになる。福岡支社長になって博多に赴任することになったので、西荻窪の丹波哲郎邸に行った。貞子夫人に別れの挨拶に行ったのだ。奥の座敷で、しばらく話をした。「麻雀のメンバーを探さなくてはね」とおどけた顔をみせた後「丹波哲郎をい... 2006.09.15 未分類
未分類 186 丹波貞子さんが亡くなって九年 古沢襄 俳優・丹波哲郎の貞子夫人が亡くなって九年の歳月が去った。女房の従姉に当たる人だったので、西荻窪にある丹波邸には、よく遊びに行った。夕方になると貞子さんから局長室によく電話がかかってきた。「麻雀のメンバーが足りないから来てよ」・・・私は断った... 2006.09.15 未分類
未分類 185 山男が池の平小屋の管理人 菊池今朝和 日本山岳会の会員で北アルプスに魅せらた菊池今朝和さんが、永年勤務していた新日鉄を卒業して、剣岳・池の平小屋の管理人になったというメールをいただいた。第二の人生として、これほど素晴らしいことはない。わが家で一晩痛飲したことが、つい昨日のことの... 2006.09.14 未分類
未分類 184 話題の海洋深層水 渡部亮次郎 「海洋深層水」とは、その名前の通り、深海を循環している水だ。験しに現物を取り寄せてみたが、数年前は塩味が少し残っていた。2005年ごろからは真水と変わらなくなった。必須微量元素や、さまざまなミネラル成分がバランス良く約60種類含まれていると... 2006.09.14 未分類
未分類 183 シベリア抑留の記録 小松崎三郎(監修・古澤襄) 八年前にシベリア墓参の旅をしたが帰国後、小松崎三郎氏がペン書きの「シベリア抑留の記録」を送ってきた。茨城県在住の小松崎氏はシベリア墓参事業が始まって以来、シベリア各地の日本人抑留者墓地を巡り、細かい記録をいくつか作っている。それをもとにして... 2006.09.14 未分類
未分類 182 安倍カラーは参院選後に 古沢襄 安倍晋三官房長官が自民党の総裁選に立つ志を固めたのは何時のことか?具体的にその決意を口にしたのは、ことし二月三日夜の「再チャレンジ支援議員連盟」の菅義偉氏(津島派)ら幹部との会合で「幅広く若い方々から応援していただければ・・・」との発言が、... 2006.09.13 未分類