未分類 335 秋田名物・鰰寿しは絶品! 古沢襄 私は少年時代を疎開先の信州で過ごしたから魚の味を知らなかった。佐久の鯉料理などは贅沢品で口に入らない。朝、太陽がのぼる前に千曲川に行って、毛針を使ってハヤを釣ってきた。それを味噌汁にいれてダシ代わりに食べた程度。戦時中だったから仕方ない。女... 2006.12.18 未分類
未分類 334 東京で食べられない物 渡部亮次郎 東京では全国至る所の食べ物や食材が入ってくる。最近も秋田沖の荒波で育った真鱈を宅配便で取り寄せて鍋にして食べた。秋田では「ざっぱ汁」とか「じゃっぱ汁」とか言う臓物の鍋である。脂が乗っていて格別に美味である。これは国鉄がなくなったお陰である。... 2006.12.18 未分類
未分類 333 変幻自在の亀井芝居小屋 古沢襄 亀井静香氏という政治家は政局の節目で必ず姿を現す。昨日の敵は今日の友で変幻自在、変わり身の早さで定評がある。人が好いのか、政局判断を誤って、アサッテの方に走りだすこともあるが、これはご愛嬌。どこか憎めないのは、明るい人柄なのかもしれない。そ... 2006.12.17 未分類
未分類 332 国賊・逆臣の末裔なのか? 古沢襄 私は戦前の”国賊”とよくよく縁がある家系に生まれたようだ。父が生まれ育った岩手県は、明治維新で最後の賊軍として戦った盛岡藩。藩の筆頭家老だった楢山佐渡は、朝敵の汚名を背負って、反逆首謀の名を着せられて切腹して果てた。ジャーナリスト出身から最... 2006.12.17 未分類
未分類 331 母系から辿る北一輝研究 古沢襄 中川芳郎氏という未知の人から北一輝に関するメールを頂戴した。ポイントを突いた点があるので、返信のメールを差し上げたが、受け取り人不明で戻ってきている。杜父魚ブログを読んでいる方なので、あえて返信メールを公開することにした。これからの北一輝研... 2006.12.17 未分類
未分類 330 戦後保守政治の証人・辻トシ子女史 古沢襄 辻トシ子さんが米寿を迎えた。その「米寿を越えた喜びの会」が来年の二月五日にホテルオークラの平安の間で開かれるという招待状を頂戴した。体調を崩して回復したものの長時間のパーテイとなると自信が持てないので、次女・知子(武蔵野ワークス代表)に付き... 2006.12.16 未分類
未分類 329 安倍内閣を信任した国会だったのか? 古沢襄 各社とも紋切り型の国会記事を書いているが実態は与野党の談合。「与野党攻防大詰め」という見出しも白々しい。安倍首相が最重要法案として挙げた教育基本法改正案や防衛庁の省昇格関連法案などが軒並み成立、野党が出した内閣不信任決議案は、圧倒的多数をし... 2006.12.15 未分類
未分類 328 師走のしょっつる貝焼き鍋 古沢襄 師走になると秋田の家庭では”ハタハタ鮨”づくり取り掛かる習わしがあるという。秋田県と岩手県の県境にある西和賀で塩焼きのハタハタをご馳走になったことがあるが、まだハタハタ鮨を食べたことはない。記者時代に新宿で縄のれんのはしご酒をやったものだが... 2006.12.15 未分類
未分類 327 最も衰退するのは秋田 渡部亮次郎 私も執筆陣に加わっている会員制月刊誌『カレント』2006年10月号に出た「成長する都市・衰退する都市」と言う巻頭論文の一節である。筆者は経済学と工学と2つの博士号を持つ佐貫利雄さん。面識は有しないが、うすうす感じていたことをずばり指摘した。... 2006.12.14 未分類
未分類 326 田宮虎彦のフィクション歴史小説 古沢襄 自ら生命を絶った作家・田宮虎彦が亡くなって十八年の歳月が去った。私にとって忘れえぬ人である。母・古沢真喜は「不器用な手つきでお前を抱いてくれたのよ」と生前によく言っていた。帝大生だったというから昭和十年頃のことであろう。私が四歳だったから、... 2006.12.13 未分類