2007-05

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603 603 故郷はこの胸に 一ノ瀬綾

ふるさとは遠きにありて思うものそして悲しくうたうものよしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや・・・誰でも知っている室生犀星の抒情小曲集の中の一節である。故郷という言葉を見聞きして、この詩句を思う人は多いだろう。まして、生...
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602 602 誤植の饗宴 吉田仁

プロローグ・・・万太郎の名句久保田万太郎に,こんな俳句がある。また一つ誤植みつけぬみかん剥く中央公論社版『久保田万太郎全句集』という本を眺めていたら突然目に飛び込んできて驚いた。“誤植”という言葉を詠い込んだ俳句とは珍しい。私事にわたって恐...
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601 601 ”政っこ”と”ハラカン”の友情 古沢襄

「米内さん!」というと盛岡の人は手放しで顔を綻ばせる。「よねぇ(米内)さんとこのよ、光っあんだっべー、あの子っこよ、えれぇ海軍の軍人だったでねぇすか・・・」・・・東京生まれの私だから、多少の聞き違えがあるかもしれないが、相手の盛岡弁を文字に...
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600 乱と治の門松 吉田仁

歳末商戦たけなわのデパートや商店街などでは,クリスマスが終わるやいなや門松を飾りつける。ふつうの家庭では,マンションやアパート住まいのところなど省略することも多いが,恒例になっている家では遅くとも三十日までに飾り終えるようだ。新年の歳神をむ...
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599 患者自己注射物語 渡部亮次郎

日本で糖尿病患者が治療薬「インスリン」を患者自身で注射して良いと決断した厚生大臣は園田直(そのだ すなお)である。インスリンの発見から既に60年経っていた。逆に言えば患者たちの悲願を歴代厚生大臣が60年も拒否するという残虐行為をしてきたので...
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598 もういちど若くなりたい春のまち 安田紀夫

共同通信社の先輩でジャーナリズム学者であり、創価大、東京女子大教授を歴任された新井直之氏が、六十九歳で亡くなられてから八年が去った。一九九九年五月半ば、新宿・太宗寺で行われたお別れ会に参列した。「追悼 新井直之ーその人と足跡」という小冊子に...
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597 蚊・・・このうるさきもの 吉田仁

夏の夜は蚊をきずにして五百両これは芭蕉門下の榎本其角の句。蘇軾の「春夜詩」の有名な一節“春宵一刻値千金”をふまえ,“夏の夜は蚊がうるさくてかなわないから千金の半額だ”としゃれた。蚊さえいなければという思いは,其角を遠くさかのぼった平安時代中...
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596 地球の裏側から来た津波 渡部亮次郎

地球の裏側から来た津波とは「チリ地震津波」のこと。今から47年前の今日(5月24日)だった。1960年のこと。三陸一帯で142人が死んだ。私はNHK仙台中央放送局報道課所属3級放送記者だった。津波襲来は文字通り、寝耳に水であった。地震が来た...
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595 東北のオーロラ記録 古澤襄

東北の農民史をひもとくと,それは冷害と凶作・飢饉の苦難の歴史が浮かびあがってくる。餓死者十万人を数えた天明四年(一七八四)の奥州大飢饉をはじめ東北の農民は間断なく冷害の恐怖に曝されてきた。その冷害、凶作とオーロラ現象が密接に関係している。オ...
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594 林彪事件の朝日新聞 渡部亮次郎

日中間の国交正常化が1972年に成るなど、前の年に予測できた政治記者はいなかった。ガチガチの官僚内閣佐藤栄作政権が既に足掛け8年も続いて国民は飽き飽きしているといのに、後継者は又大蔵省出身の福田赳夫だという。なるほど、対抗馬として考えられる...