2007-10

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1027 インスリンに思う 渡部亮次郎

日本の政界の糖尿病が登場するのは確かに1945年の敗戦後である。「オラが大将」の子息で山口県知事もした田中龍夫元文部大臣は公務の合間を縫って日に何度も注射のため医者に通っていた。田中角栄、大平正芳、伊東正義、園田直、田中六助皆糖尿病が元で死...
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1026 河野一郎と麻生太郎 古沢襄

戦後政治史でもっとも魅力的で国民的な人気があったのは河野一郎氏であろう。河野氏に較べれば吉田学校の優等生だった佐藤栄作氏や池田勇人氏も色褪せてみえる。政権を手中にすることなく憤死した河野氏だったから判官贔屓もあるのだろうが、一度は総理の座に...
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1025 安倍政権とは別方向の福田政権 丸山公紀

福田新政権が誕生した。参院では予想通り、民主・小沢代表が指名されたが、憲法の規定に基づいて衆議院の指名が優先された。「安定」「落ち着き」を取り戻すことが、一番の使命のようにマスコミなどでは報道されているが、果してどうだろうか。首相就任後の初...
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1024 森支配が復活した清和会 古沢襄

清和会(旧福田派)は森派から町村派に衣替えしていたが、町村官房長官が会長職を返上して町村、中川元幹事長、谷川党両院議員総会長の三人による集団指導体制に移行することになった。もともと町村派といっても森元首相の強力な院政だったうえに、森側近の中...
宮崎正弘

1023 平沢勝栄『政治家は楽な商売じゃない』 宮崎正弘

一晩に十三家もの通夜に出たことがあると著者の平沢代議士はいう。それはそれは、因果な商売ですね。新年会が一月と二月で数百回。選挙区内の散発屋さんが300軒、そのうち殆どの店を巡回し散発したことを自慢する。庶民との付き合いをとことん大事にする。...
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1022 ジタバタせずに宣告を待つ身 古沢襄

十日間の検査入院をして退院してきた。杜父魚ブログを十日間もお休みしたことになる。病名は十八日に家族立ち会いの下で告げられるが、骨髄腫なのであろう。その覚悟は出来ている。それにしても連日の採血・レントゲン検査と腎臓生検、骨髄窄刺という痛い思い...
宮崎正弘

1021 ハイテク軍事技術が中国に筒抜け? 宮崎正弘

サダム・フセイン独裁時代のイラクへしゃあしゃあと光ファイバー通信設備建設を請け負っていた中国の企業は「華為技術」(HwaWei Technology)という。この企業は中国の人民解放軍系列の会社で、1999年から2002年にかけ、イラクで工...
宮崎正弘

1020 中国金融界を荒らす外資系四強 宮崎正弘

中国経済は「お雇い外国人」が領導しているがごとし。製造業の中国進出とは、廉価な人件費を求めての製造基地、輸出基地だった。中国の輸出の70%以上が、いまも、依然として外国企業によるものである。典型は自動車生産だろう。中国純国産車は「奇瑞」一社...