2008-05

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1802 A面あってのB面 渡部亮次郎

昔の話。昭和15(1940)年のある日、女優で流行歌手の高峰三枝子の自宅に、当時既に手に入らなくなっていた高級洋服地がどっさり送られてきた。送り主はデビュー間もない伊藤久男。人気の高峰に対する「御礼」のしるしだった。昭和13年、古賀政男がテ...
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1801 危険水域に入った福田内閣 古沢襄

人気低迷の福田内閣の支持率は、とうとう20%の危険水位を割った。森内閣も20%を割って退陣、小泉内閣の誕生をみている。これまでは福田内閣の支持率低下に付き合ってきた小沢民主党だったが、20%を回復しただけでなく、初めて30%の大台に乗る支持...
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1800 明治141歳、大正97歳 古沢襄

壁に向けてパソコンをセットしてある。その壁にカレンダーと二枚の紙が画鋲で貼ってある。一枚は私の手製年表、もう一枚は渡辺美智雄元副総理のお兄さん・嚆夫氏から頂戴した「人生讃歌」。この年齢になると明治元年から何年になるか?と考えると回答を得るの...
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1799 ジョン・レノンのご馳走 渡部亮次郎

ザ・ビートルズ(BEATLES)は世界中で最も広く知られ、最も成功したロックバンドという事をジョン・レノンにダコタ・アパートで会うまで知らなかった。1978年2月のその時、私は福田赳夫内閣の外務大臣園田直(そのだ すなお)の秘書官だったが、...
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1798 やくざでない刺青 渡部亮次郎

小泉又次郎(こいずみまたじろう、慶応元年5月17日(1865年6月10日)―昭和26年(1951年)9月24日)は、日本の政治家。正二位勲一等。第87-89代内閣総理大臣小泉純一郎の祖父。横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長などを歴任した。義...
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1797 「いしり」の美味さ 渡部亮次郎

新聞の日曜版で石川県の魚醤「いしり」を知った。烏賊の肝を塩漬けにして発酵させたものの汁だという。東京生まれの家人は私の郷里秋田県の名物「しょっつる」が大好き。「あれとおんなじよ」と乗り気でない。なぜなら秋田県人のクセに私は鰰(はたはた)の魚...
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1796 百花斉放・百家争鳴 渡部亮次郎

1956年5月2日、毛沢東は最高国務会議で「共産党への批判を歓迎する」として、「百花斉放百家争鳴」を提唱した。百花斉放とは様々な文化を開花させるという意味であり、百家争鳴とはたくさんの意見を自由に論争するということである。毛沢東がこのような...
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1795 澄んだ星空にスパイ衛星 古沢襄

愛犬バロンが何を勘違いしたのか夜中の三時半に起こされた。二階の廊下の窓は網戸にして開けてあるが、夜中でも寒くなくなった。夜空に星が輝いている。本ばかり読んでいると近眼になるので、時折、星空をみた方がいいと子供の頃に教えられた。横浜に十八年住...
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1794 エンパイア・ステート・ビル 渡部亮次郎

「エンパイア・ステート」はニューヨーク州の愛称である。そのニューヨークを生まれて初めて訪れたのは1978(昭和53)年2月のこと。国際問題評論家の友人加瀬英明に連れてもらっての旅だった。もう30年前だ。最初がロス・アンジェルス。折から解禁さ...
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1793 日本初メーデーは5/2 渡部亮次郎

労働者の権利を獲得するための祭典メーデーだが、日本で最初に行われたのが大正9年。実はこの年、5月1日が土曜日で休みでなかったため、2日の日曜日に開催された。つまり日本初のメーデーは5月2日。元々イギリスで5月1日は14世紀頃に始まった、花を...