2008-05

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1882 「日本国民フォーラム」の立ち上げ 古沢襄

平沼新党・・・平沼赳夫氏が総選挙の前に新党を立ち上げるという噂が永田町に駆けめぐっている。29日に超党派の保守系地方議員らのグループ「日本国民フォーラム」が設立総会を開くが、フォーラムの最高顧問になる平沼氏が記念講演をすることから、フォーラ...
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1881 マケイン・リーバーマン共同論文 古沢襄

米共和党の大統領候補・ジョン・マケイン上院議員がジョゼフ・リーバーマン上院議員との連名で読売新聞に寄稿したアジア戦略の共同論文は注目に値する。クリントン大統領時代にフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿したコンドリーザ・ライス氏の外交論文に匹敵す...
MoMotarou

1880 小国の備え MoMotarou

群夷(ぐんい)競ひ来る。国家の大事とはいへども、深憂(しんゆう)とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。(「孔孟余話」 吉田松蔭)苟(いやしく)も人心だに正しければ、百死以て国を守る。 其(そ)の間勝敗利鈍(りどん)ありといへ...
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1879 拉致数人が生存情報 古沢襄

町村官房長官から批判された毎日新聞も黙っているわけにいかない。北朝鮮に数人の拉致被害者が生存しており、帰国させる用意があると米政府関係者に伝えていたというニュースを書いた。北朝鮮が日本側に直接伝えたのではなくて、ヒル国務次官補ら米政府関係者...
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1878 「キム・ジョンヒル」をW・Pが評価 古沢襄

日本では評判が良くないヒル米国務次官補だが、ワシントン・ポスト紙は大きな紙面を割いて最大級の賛辞を呈している。米朝交渉が大詰めを迎えたので”ヨイショ記事”ではないかと皮肉の一つも言いたくなる。韓国の朝鮮日報がワシントン・ポスト紙の内容を詳し...
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1877 国連ポストを敬遠? 渡部亮次郎

日本の初代国連大使は加瀬俊一(としかず)氏だと誤解している人が多い。加瀬氏は国連加盟後の初代大使。加盟に努力した初代大使がいた。沢田廉三氏である(1954年4月1日―1955年7月)。妻の美喜(孤児院エリザベス・サンダースホーム創設者)は元...
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1876 官房長官が異例の批判 古沢襄

町村官房長官は福田首相よりも北朝鮮に厳しいスタンスをとることが多い。26日の記者会見で横田めぐみさんの生存に関する一部報道を批判し、「本人に取材がない記事で誠に遺憾だ。相当の意図を持って記事がつくられたとしか思えない」と指摘した。一部報道と...
宮崎正弘

1875 モンゴルが参加する新グレードゲーム 宮崎正弘

ロシア、中国、米国との三角関係を均衡感覚で生き延びる智慧。メドベージェフ(ロシア大統領)が四川省大地震直後に北京を訪問し、協力関係を確認したことが大きく報じられた。メドベージェフ大統領は、初の外遊=中国歴訪の前に、じつはカザフスタンの首都ア...
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1874 一服状態の政局だが・・・ 古沢襄

政局について次の二つの記事が面白い。日経新聞によれば、「ひよっとすれば年内解散かもよ」と思わせぶりなことを匂わせていた小泉元首相は、完全に来年の任期満了選挙に戻ってしまった。それにしては、このところ小泉チルドレンの応援に足繁く顔を出している...
宮崎正弘

1873 NGO疑う人民解放軍 宮崎正弘

人民解放軍が、救援NGO活動を妨害。即席NGOに反政府団体やスパイの疑いを抱く軍のメンタリティ。四川大地震の救援活動が各地で展開されている。中国のメディアは、「犠牲者の一割が小学生などで、学校の倒壊原因は手抜き工事、エリート校は幼稚園でも崩...