明和五年 戊子(ツチノエネ・・・1768年の記録)
①十二月一日 日蝕。正月四日五つ時(午後八時)地震があった。
②六月五日に雨が降ったが、六日から七月十一日まで日照り(旱)が続いた。
③七月二十八日 大地震。八月二十九日霜が降る。地震と天候不順は人々の不安を募らせたに違いない。しかし、田畑の出来具合は「中の上」とある。
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ナルシスト鳩山首相とナルシシズム(自己愛) 古沢襄
敗戦直後、古紙などを漉き直した再生紙(仙花紙)で英語の授業を受けた。その中に水仙の由来を書いたギリシャ神話の話があった。水仙のことを欧米ではナルシスと呼ぶ。
岸丈夫さんの「阿片吸引の図」 古沢襄
漫画家・杉浦幸雄さんの義兄に岸丈夫さんという戦前に売れた漫画家がいた。岸丈夫さんは岩手県西和賀町沢内の出身、漫画家になる前に油絵の洋画家だった時代がある。昭和9年(1934)にふらりと満州旅行に出た。
五摂家筆頭の近衛家は藤原鎌足の子孫 古沢襄
天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会でフィギュアスケートの浅田真央選手が「このたびは本当におめでとう」と天皇陛下から声をかけられた。オリンピックの大舞台で緊張もせずに銀メダルを手にした真央ちゃんが、「はい」を四回、「ありがとうございます」を四回繰り返しただけ。
乃木希典学習院長が集めた生徒の家紋 古沢襄
他家の墓を見て回るのは他言を憚る趣味なのだが、この”墓荒らし”を始めて二十年近くになる。還暦を迎えた頃、家の紋章である「家紋」に興味を持った。家紋の研究書には大正十四年発刊の「日本紋章学」がある。沼田頼輔氏が明治書院から発刊した一千数百ページに及ぶ大著だが、戦後の家紋に関する本は「日本紋章学」に依拠するものが多い。
奈良時代初期からある古沢黒島の地名 古沢襄
この十五年ほど春が来ると茨城県の下妻市や八千代町を必ずといってよいほど訪れてきた。ことしもその季節がやってきたが、底冷えする陽気に災いされて足が鈍っている。七十八歳の身には寒さが禁物。心は鬼怒川の河畔に飛んでいるが、川風は年々歳々、身に堪える様になった。
関東で勢威を振るった多賀谷氏の夢の跡 古沢襄
関東で一千挺の鉄砲隊を擁して徳川家康から怖れられた戦国大名・多賀谷氏の居城は、茨城県の下妻市にあった。寛正三年(1462)に下妻城が築城されたが、周辺を沼地に囲まれ、大宝沼と砂沼に挟まれた島状の高台に築かれた水城だったという。
「沢内年代記」を読み解く(十一) 高橋繁
宝暦七年 丁丑(ヒノトウシ・・・1757年の記録)
①十二月十五日 月蝕。
②田は上作。米は平年以上によい実りであった。しかし、凶作が続いたのでこの年まで難儀(苦労)した。(「下巾本」)
③去年の不作のため、米一升の値段は百三十文(6.500円)であった。(「草井沢本」)
地球温暖化が亜氷期を招く 古沢襄
地球上でホモサピエンスが誕生したのは20万年前(猿人は百万年前)のアフリカだったといわれている。それが北上して、一つの流れはアジアに向かい、もう一つの流れはヨーロッパに向かったと言われている。