北アジアの異民族が万里の長城を越えて漢民族を蹴散らし、支那本土を支配したのは元王朝と清王朝の二例であろう。
元王朝について言えば、少数の蒙古族が圧倒的多数の漢民族を支配できたのは武力だけではない。巧みな民族分断の支配政治を行っている。
北アジアの異民族が万里の長城を越えて漢民族を蹴散らし、支那本土を支配したのは元王朝と清王朝の二例であろう。
元王朝について言えば、少数の蒙古族が圧倒的多数の漢民族を支配できたのは武力だけではない。巧みな民族分断の支配政治を行っている。
支那シリーズを書きだしたら、支那三十都市からアクセスしてきた。七月十四日のブログ・トップ10で私の「①漢の皇帝劉邦が怖れた北アジアの匈奴 古沢襄」がトップで読まれている。
日本ではモンゴル帝国のジンギス汗のことは、よく知られているが、漢王朝を震撼させた匈奴の冒頓単于のことは、ほとんど知られていない。
紀元前200年のことだが、北方の匈奴は丁零、高車など北アジアのトルコ系遊牧国家を服属させて、南の太原に侵入してきた。
支那上古史を惹かれて黄河流域の漢民族について考えているうちに、その黄河流域を取り囲む周辺にオリエント文明の影響を受けた古代トルコ民族の末裔が作った国家群があったことを知った。
古代文明は文字の使用によって歴史が伝えられ、王朝の栄枯盛衰を知ることができる。支那上古史で考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝を「殷(いん)」といったが、漢字が系統的な文字になるのは、紀元前16世紀の殷(商)の時代だといわれる。
私が専攻したのは、清朝末期の支那社会と山東省に入ったドイツ人宣教師の虐殺という特殊なテーマだった。
何でこんな特殊なテーマにとりつかれたか?といえば、それなりの理由がある。このテーマで83歳になった今ででも関連資料の山を読んでは一人で楽しんでいる。
■ロイター・コラムでKim Kyung-Hoon氏が伝えた中国玉林市の犬肉レストラン
[玉林(中国)25日 ロイター]ハンマーで殴られて気絶させられ、絞め殺される犬たち。その後、丸焼きにされ、吊るされた状態で店頭などに並ぶ。この光景は、中国南部の広西チワン族自治区玉林市では、夏の「風物詩」となっている。
昔から「ソバは東京、ウドンは大阪」といわれてきたから、東京生まれでいっぱしの”江戸っ子”気取りでいた私はソバ通のふりをしていた。
しかし小学校の頃はオヤジが近くのそば屋によく連れていってくれた。そば屋で食べたのは”うどんかけ”。それも「うどんは具のない”かけ”がいい」というオヤジの講釈付きだった。
「会社は社長、学校は校長ですべては決まる。本当の教育者でなく、校長試験に合格した教師を校長にするいまの、日本の文教政策を根本から変えない限り、いじめによる自殺もこんどの痛ましいことも、絶対になくならない。
1994年(平成6年)五月の朝鮮半島危機は断片的に伝えられてはいるが、真相は軍事機密なので分からない。
ドン・オ-バードーファーの「二つのコリア」は五月十九日にホワイハウスでクリントン大統領にぺりー国防長官らが朝鮮半島で戦争が勃発する危機について公式説明を行ったとしている。
■舒明天皇か蘇我蝦夷か? 斉明天皇説も…考古学者の意見分かれる
△645年の乙巳(いっし)の変で日本歴史から姿を消した古代大族・蘇我氏くらい興味を惹く氏族はない。戦時中は悪逆非道の徒として触れることさえタブー視された。
その地域に伝わる旧家からみつけた古文書を読み解く同好者で作った「史談会」に参加したことがある。一口に古文書というが、かなり熟達した読み手でないと読み解くのは難しい。史談会に参加してみたが私はお手上げ、結局は先達の解読を教えて貰うしかなかった。
シベリアのバイカル湖を二度にわたって訪れて以来、この地のブリヤート人が約二万年前にマンモスとともに極寒の時代を避けて東進して、一万三千年前には、シベリアのアムール川周辺に到達したとの仮説にとりつかれた。
アメリカの大統領が持つ権限は日本の首相とは違って絶対・無二のものである。外交・安全保障政策にズブ素の無名の地方州知事がホワイトハウス入りし、アメリカの不利益ひいては世界の安全保障に深刻な影響を与えようとしたらどうなるか。
司馬遼太郎は代表作「坂の上の雲」や「菜の花の沖」書きながら”北アジア史的なもの”を考え続けている。それが「ロシアについて 北方の原形」の作品になった。
日本人の遺伝子には北方系と南方系の「二重構造モデル」がみられるという。日本犬の遺伝子にも「二重構造モデル」があるというのは興味深い。およそ一億二〇〇〇年から一億三〇〇〇年前にシベリアのバイカル湖周辺にあったブリヤート人が地続きのサハリン、北海道を渡って日本にやってきた。その数は七〇〇〇人前後という推定値がある。
元旦から孫とワインを飲んで、いささか酩酊した。一眠りしたら夢の中にシベリアのイルクーツクに流れるアンガラ河という大河が出てきた。
河畔を散策していたらイルクーツ大学の女子学生に出会ったので、写真を撮らせてと所望したらポーズまでとってくれた。ロシア人の多くは人が良い。
「先輩としては藤田東湖、同輩としては橋本左内、ともにわしの最も尊敬した人である」・・西郷隆盛が遺した言葉である。西郷は安政元年(1854)4月10日に江戸・小石川の水戸藩邸に東湖を訪れている。
気品のある成年皇族の誕生で日本社会に与える影響が少なからずある様に思う。しかも自分の思うことをはっきりと言う若き佳子さまには誰もが好感を覚えたのではないか。
■なぜこれらの国々はかくも親日なのか 元大使がかたるインドやタイやトルコ、ミャンマーの日本への篤い思い
<日本戦略研究フォーラム編『愛される日本』(ワニブックス)>
あと10日でお正月、新しい年を迎える。夜中に目が覚めた。災害列島・日本で一番怖いのは津波被害である。だが夢の中で出てきたのは大地震。それも断層型の「真昼大地震」。
明治29年(1896)8月31日、東北の真昼山地を震源とする大地震が発生した。陸羽大地震である。
真昼山地の地下4キロを震源とするこの地震で岩手県側に川舟断層、秋田県側に千屋断層の二大断層が出現し、秋田県側の死傷者二〇五人、重軽傷者七三六人、家屋の全壊消失四三〇〇件。一方、震源地に近い岩手県の西和賀地域は家屋の全壊が三一〇件と比較的被害が少なかった。
政府の地震調査委員会は19日、今後30年以内に震度6弱以上の揺れが起きる確率の分布を示した2014年版「全国地震動予測地図」を公表した。
先月22日の長野県北部を震源とする地震で断層系と地震の因果関係をあらためて知った。専門家は糸魚川静岡構造線(糸静線)の北部で断層が動いたと指摘している。
<<坂本大典『日本人の百年戦争』(展転社)>>
この本はペリー来航以来、日本が戦ってきた外圧、とくに薩英戦争、馬関戦争を経て、初の対外戦争である日清・日露、そして第一次世界大戦から満州事変、日支事変から大東亜戦争へといたる、まさに「百年」の戦争を活写する。
■麻生・黒田・谷垣 来年10月に予定通り10%消費税再増税論
安倍首相は来年10月から予定通り消費税を10%に増税するか、年末までに最終決断をせまられている。予定通り派は麻生副総理・財務相、黒田東彦日銀総裁、谷垣自民党幹事長の三人組。
百九年前の明治三十八年(一九〇五年)の今日、九月五日、前年の二月から一年七ヶ月にわたって戦われた日露戦争の講話条約が締結され、日露戦争が終結した。日本側全権は、小村寿太郎外務大臣、高平小五郎駐米公使ロシア側全権は、セルゲイ・ウィッテ
六〇年安保の頃であった。首相官邸の記者クラブで電話番をしていたら
「テレビ朝日のマツモトです」と電話が掛かってきた。
「マツモト?」テレビ朝日の友人にはマツモト君はいない。しばらく黙っていたら
「平林彪吾の息子ですよ」
半世紀も経つと東京の風景も一変している。新橋駅で国電を下りて虎ノ門に向かって歩くと最初の交差点の角に日石ビルが立っていた。右折して間もなく左手にNHKの旧社屋があった。さらに日比谷に向かって歩くと左手に共同通信社と時事通信社が同居した市政会館ビル、その右手正面には東京新聞社がある。私たちは歩いて国会や首相官邸に通ったものだ。
■ロイター・コラムでMark Leonard氏が予測
[30日 ロイター]欧州連合(EU)と米国がロシアに対する制裁を強化する一方、それに対するプーチン大統領の報復措置には、米外食大手マクドナルドへの攻撃も含まれるようだ。地政学が経済のグローバル化を逆行させる例として、これ以上象徴的な動きはないだろう。
▼日本列島は北は北海道から南は九州まで自然の猛威に曝されている。これに九月になれば台風の直撃にも備えねばならない。二〇〇〇年の歴史の中で日本人は自然の猛威に耐え、これを克服する努力を重ねて生きてきた。忍従の歴史である。
北陸には五年間いたので一番印象に残っているのは、福井市の足羽山公園にある継体天皇の石像だった。日本の古代国家は畿内つまり近畿地方で天皇を頂点とする朝廷によって成立している。
昨夜は梅原猛氏の「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」を本棚から引っ張り出して再読している中に、スサノオの項に引き込まれ、いつしか夜が白々と明けてしまった。
日本古代史で「蘇我氏」という大族の興亡は謎に包まれている。「日本書紀」を読んでも蘇我氏の出自は明らかでない。むしろ大化改新で誅殺された蘇我入鹿のように”悪役”の最たるものとして描かれている。
「家康に消された戦国大名・多賀谷氏の痕跡」と「東北亀田藩で名君を育てた幸村の娘」を読んだ読者から次の様な質問が来ている。
<興味深く読ませていただいています。先の「太閤秀吉が多賀谷に「多賀谷の人数は如何」と下問した時には「五軍合わせて地戦千騎」と答える規模になっている。」旨の情報の出典をご教示いただけませんか。
古代出雲は謎に包まれている。戦後、歴史学会が唯物史観に染まった頃は、出雲神話を研究する歴史学徒はいなかった。古事記ですら”偽書”と切り捨てられた。
フランスのアンドレ・マルローは「二十一世紀は霊性の時代となるであろう」と言っている。
マルローは日本贔屓といわれたが、日本文化の根底にある「無常(precaire)」がわかるフランス人だった。戦後日本人よりも、もっと日本人らしいフランス知識人だったともいえる。
正月早々に三島由紀夫がノーベル文学賞の候補になっていたことが話題になっている。これは一九六三年のことだが、その五年後に川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞した。
韓国の歴史学会は古代朝鮮の統一王朝は新羅だとしている。ところが高句麗の末裔をもって任じている北朝鮮は高句麗・高麗国が最初の統一王朝だと主張して譲らない。
司馬遼太郎は代表作「坂の上の雲」や「菜の花の沖」書きながら”北アジア史的なもの”を考え続けている。それが「ロシアについて 北方の原形」の作品になった。
戦前の日本は「東洋史」というと「支那史」一色だった。そんな中でインド史やモンゴル史さらには北アジア史を含めた広い意味での「東洋史」を模索した学究がいた。
■小国の智恵といわれるが、亡国の自己保身
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に事大主義(じだいしゅぎ)の外交政策が詳しく述べられている。事大主義は、大に事(つか)えるという考えと行動を表す語。外交政策の1つでもあるという。
■韓国の屈折した負のスパイラル
軍用艦命名にあたり、縁起の悪い「敗軍の将」の名をかぶせる海軍は極めて珍しい。ドイツが輸出用に開発し、韓国で建造する214型潜水艦の4番艦で、8月に進水した《金佐鎮(キムジャジン)》はそうした珍例の一つ。
西和賀町の前町長・高橋繁さんから秋田・大曲の有名な花火師・今野義和さんの講演と実演の花火を見てきたと知らせがあった。
東北の歴史に詳しい繁さんは、「秋田に佐竹氏が移封になった時から、その路程の町々に花火があったが、大曲には雄物川の河港があり、西回りの航路があることから、京都の文化や原材料が手に入り易かったことから花火師が集まるようになった」との
今野義和さんの説を一歩進めて、常総の太守だった佐竹の鉄砲隊と火薬調合の職人集団に着眼している。
北東北三県で秋田の読者が岩手の読者を追い越したと、12月3日の杜父魚ブログでお知らせしたが、さらに三日間で秋田の読者が一日で七六〇人(前回七〇一人)と急増している。青森は七〇三人(前回六八五人)、岩手六七一人(前回六六〇人)と微増だが、秋田の読者増が著しい。
北一輝から贈られた日本人形が八十三年の歳月を経てわが家の床の間に飾られている。この人形は昭和五年に生まれた姪の誕生を祝って北一輝が贈ってきたものである。その姪・・私にとっては義理の姉に当たるが、先月の二十五日にガンで亡くなった。
秩父宮に遺書があったことは知られているが、その内容たるや、一般の想像を絶する凄絶なものである。
僕は五十年の生涯をかへり見て唯感謝あるのみ。特殊な地位に生まれたと云うだけで限りない恵まれた一生を終へたと云う外はない。平々凡々たる一人の人間だが、殊に最後の十年は我民族として国家として歴史上未曾有の難局と困苦の間にあったが、此の間を静かに療養の生活を送れたことは、幾多の同病の人が筆舌に尽し得ない欠乏の中で此の世を去って行ったのに比し、余りにも恵まれ過ぎていたと云ふの外ない。
そこで推測に浮かぶのが西田税(つとむ)という人物である。二・二六事件では北一輝とともに処刑されたが、秩父宮とは士官学校同期の三十四期生で知遇を得ている。あたかも大正十一年七月二十一日、卒業を目前に控え校庭兜松の付近で、数名の交友同志とともに秘密の会見をもったのである。
秩父宮については、石井秋穂元軍法会議判士の言辞が次のように引用されている。
坂井は予審調書でも法廷でも、秩父宮様のことはひとことも話していません。ほかの誰ひとり発言していません。坂井が、中橋手記に書いてあるようなことを秩父宮様がいわれたというのは、笑止千万なことで、もしそういう会話が交わされた(それもとうてい信じられないが)とすれば、秩父宮様は「何か事があったら中央は一個師団を出して対抗措置をとるであろう」といったのだと思います。
二・二六事件の勃発から半世紀を遙かに超える。この間、日中戦争、太平洋戦争とつづいて敗戦。新憲法のもとで天皇は現人神(あらひとがみ)から象徴へと下降した。こうした変転の中で事件はどのように捉えられたか。
六年前の春、「戦後秘史・服部卓四郎と辻政信」を書いた。”作戦の神様”服部卓四郎氏とは面識がなかったが、辻政信・参院議員とは国会の参院議員食堂でよく飯を食った。サンデー毎日に連載した「「潜行三千里」で一躍時代の寵児となった辻政信だったが、私が知る頃は時代の寵児のメッキが剥げてメデイアも相手にしない老人の姿を曝していた。
蒋介石の「以徳報恩」なる世紀の欺瞞と親日家ぶる演出はなぜ生まれたのか。気絶するほどの欺瞞、偽善、悪魔の詐欺師は某参謀に共通した・・・。
「シベリア・タイシェットと太平洋パイプライン」がトップ記事で読まれている。最近の太平洋パイプラインのことを記事化したものではない。過去形の記事が何故、読者の関心を呼んでいるのだろうか。