北一輝から贈られた日本人形が八十三年の歳月を経てわが家の床の間に飾られている。この人形は昭和五年に生まれた姪の誕生を祝って北一輝が贈ってきたものである。その姪・・私にとっては義理の姉に当たるが、先月の二十五日にガンで亡くなった。
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昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(完) 田々宮英太郎
秩父宮に遺書があったことは知られているが、その内容たるや、一般の想像を絶する凄絶なものである。
僕は五十年の生涯をかへり見て唯感謝あるのみ。特殊な地位に生まれたと云うだけで限りない恵まれた一生を終へたと云う外はない。平々凡々たる一人の人間だが、殊に最後の十年は我民族として国家として歴史上未曾有の難局と困苦の間にあったが、此の間を静かに療養の生活を送れたことは、幾多の同病の人が筆舌に尽し得ない欠乏の中で此の世を去って行ったのに比し、余りにも恵まれ過ぎていたと云ふの外ない。
昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(3) 田々宮英太郎
そこで推測に浮かぶのが西田税(つとむ)という人物である。二・二六事件では北一輝とともに処刑されたが、秩父宮とは士官学校同期の三十四期生で知遇を得ている。あたかも大正十一年七月二十一日、卒業を目前に控え校庭兜松の付近で、数名の交友同志とともに秘密の会見をもったのである。
昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(2) 田々宮英太郎
秩父宮については、石井秋穂元軍法会議判士の言辞が次のように引用されている。
坂井は予審調書でも法廷でも、秩父宮様のことはひとことも話していません。ほかの誰ひとり発言していません。坂井が、中橋手記に書いてあるようなことを秩父宮様がいわれたというのは、笑止千万なことで、もしそういう会話が交わされた(それもとうてい信じられないが)とすれば、秩父宮様は「何か事があったら中央は一個師団を出して対抗措置をとるであろう」といったのだと思います。
昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(1) 田々宮英太郎
二・二六事件の勃発から半世紀を遙かに超える。この間、日中戦争、太平洋戦争とつづいて敗戦。新憲法のもとで天皇は現人神(あらひとがみ)から象徴へと下降した。こうした変転の中で事件はどのように捉えられたか。
もう一つの「辻政信論」 古澤襄
六年前の春、「戦後秘史・服部卓四郎と辻政信」を書いた。”作戦の神様”服部卓四郎氏とは面識がなかったが、辻政信・参院議員とは国会の参院議員食堂でよく飯を食った。サンデー毎日に連載した「「潜行三千里」で一躍時代の寵児となった辻政信だったが、私が知る頃は時代の寵児のメッキが剥げてメデイアも相手にしない老人の姿を曝していた。
書評『蒋介石の密使 辻政信』 宮崎正弘
蒋介石の「以徳報恩」なる世紀の欺瞞と親日家ぶる演出はなぜ生まれたのか。気絶するほどの欺瞞、偽善、悪魔の詐欺師は某参謀に共通した・・・。