岸内閣の末期のことである。岸は河野一郎を評価していた。「稚気愛すべき男」と言っていた。国民的な人気も高い政治家であった。
石破は河野に較べるとスケールは小さいが似たところがある。
この頃、池田勇人はコチコチの反主流。岸は池田をトコトン嫌っていた。後に宏池会の事務局長になった和田清好さんに連れられて信濃町の池田邸に行ったことがある。和田さんは共同の解説委員長だったが池田側近記者の一人。
信濃町には池田派の家の子郎党が集まり「岸討つべし」と気炎をあげている。通産相を辞任し、岸内閣を倒閣に追い込むという主戦論が奧の部屋から応接間にまでガンガン聞こえてくる。
「池田には政権は渡りませんね」と和田さんに囁いた。ワンポイント置いて河野政権が来ると予想したからである。
和田さんは首を傾げた。
「家の子郎党なんて、あんなものだよ。池田の本心は違う。佐藤栄作が本気になって池田を説得している。河野は高ころびに転ぶよ」
間もなく池田が現れた。深酒で顔が真っ赤になっている。
「ワーさん、どうするね」。いつの間にか和田さんの両手を握っている。
「そりゃー、岸に協力してやりなさい。喧嘩して党内の半数を手に入れるよりも、協力して全部頂くのです」
和田さんはいつになく真剣な表情だった。
突然、池田は目に涙を浮かべた。
「ワーさん 有り難う。おれの腹は決まっている」
半世紀以上も昔の政界の一幕だが、いまの安倍VS石破の対立劇をみていると、家の子郎党のかしましい声だけが聞こえてくるが、危機的状況を突破する知恵者がいない。
同じ頃、河野は岸が佐藤に引きずられることを危惧していた。佐藤と池田の後ろには大磯の吉田茂がいる。だが岸と吉田の仲は良くない。
岸は鳩山一郎を担いで、民主党を立ち上げ初代幹事長になった。河野とは同じ仲間意識がある。当時の私の目には岸は河野に傾いているとしか映らなかった。
結局は佐藤工作が成功して池田政権が誕生したのだが、御殿場に引きこもった岸を訪ねて
「もう時効になったでしょうから、ほんとうのところは、どうだったのでしょう」と岸に聞いた。
しばらく黙っていた岸は
「三人兄弟ででね、長兄が一番の秀才。次が私でね。だが政治力は一番下の弟。私はいずれも二番手でシュヨ」
答えにはならなかったが、池田嫌いは変わらなかった。