安政元年 甲寅(キノエトラ・・・1854年の記録)
【巣郷本の記録】
作柄は上作であった。木の実(栗、栃、ぶなのみ、ドングリ、ヤマブドウ等)が多かった。
「沢内年代記」を読み解く(三十一) 高橋繁
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安政元年 甲寅(キノエトラ・・・1854年の記録)
【巣郷本の記録】
作柄は上作であった。木の実(栗、栃、ぶなのみ、ドングリ、ヤマブドウ等)が多かった。
桜井よしこ氏が寄稿している「週刊ダイヤモンド」に細川護煕元首相のブレーンだった田中秀征氏も寄稿している。その論は先見性に富んだもので、教えられる事が多い。長野県人だが、この土地から幕末の佐久間象山のような鬼才の兵学者・思想家が生まれている。
弘化四年 丁未(ヒノトヒツジ・・・1848年の記録)
【巣郷本の記録】
作柄は下作であった。年貢割合は元歩より四歩引きであった。七月初め頃より稲穂が少し出た。その頃より雨降り続きで大飢饉の様相であったが、八月は日照り続きで霜も降らなかった。刈り取った稲一束(稲を手で刈り取り小束にしたものを10束を合わせて1束・イッソク)から一升三合、よい田では一升五合(籾)収穫できた。入石(買い入れた米)一升(1.5㎏)五十文(約1,500円)ぐらいであった。