昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(1)    田々宮英太郎

二・二六事件の勃発から半世紀を遙かに超える。この間、日中戦争、太平洋戦争とつづいて敗戦。新憲法のもとで天皇は現人神(あらひとがみ)から象徴へと下降した。こうした変転の中で事件はどのように捉えられたか。

事件の本質が矮小化され、遺族の人情噺に溶暗されるかと思えば、殺人強盗の類いにまで貶められる。あるいは将軍たちの陰謀に躍らされたとする誹謗までがあらわれた。血を吐くような「昭和維新」の雄叫びも、それらにすり替えられようとしている。

ところで久しく在否が謎とされた「正式裁判記録」が平成六年二月四日研究者に開示された。まさしく第一級史料の出現とされた。しかし、これとても事件の全貌、真実を突きとめたとするわけにはいかない。

史料としては、それを裁いた側の記録という限界をもっているからである。まして特設陸軍軍法会議という異常な裁判だった。非公開で弁護人無し、一審だけで上告ができない。そうした意味では、歴史の真実を追求するには、なお少なからぬ謎を秘めるものと見ねばなるまい。

事件指導者の一人・中村孝次(元陸軍大尉)は遺書でのべている。

 今次事件ハ不肖ハ失敗ト思ハズ 又時機選定失当トモ思ハズ 不肖ハ神仏ノ意ニ従ヒ神仏ノ導ニヨッテ而シテ神仏ノ照覧加 護下ニ今次事件ヲ決行シ大ナル成功ヲ克チ得タルヲ確信シアリ

 然レドモ意外ノ結果ニ陥リ多数同志ノ犠牲ヲ出シタルハ一ニ不肖等中心的ニ三士ノ全責任ニシテ殉国ノ多数同志ト事件ニ坐 シテ苦辱ヲ受ケタル同志諸兄ニ対シ唯々万謝ノ外ナシ(同志ニ告グ)

重臣ブロックには大打撃を与えた。しかし十九名にものぼる死刑は痛かったというわけである。

それというのも五・一五事件では最高が禁錮十五年、民間人でも無期懲役どまりだった。大逆事件でも幸徳秋水以下二十四名の死刑判決だったが、恩赦により半数の十二名が無期に減刑されている。

これらに比べては、恩赦もなくその処断は峻烈をきわめた。それだけに一般の印象は、それに引きずられやすい。しかも、依然として結果論、逆賊論が、今日もなお、まかり通っているからである。

さて、この種大事件にはとかく黒幕が介在する。二・二六事件にも、そのような黒幕があったとする風評が後を絶たない。事件の歴史的評価にとっても、その実態が明らかにされねばなるまい。

黒幕説には秩父宮雍仁(やすひと)親王、真崎甚三郎大将、北一輝といった錚々たる巨像が浮上する。しかもそれらには真偽とりまぜたもの、極秘に属するもの、為にせんとするものなどとりどりである。それだけに実態をつかみにくくさせている。

黒幕を定義して、「叛乱将校を背後から使嗾した人物」とすれば、上記三者の中、そのカテゴリーに属する人が果たして居るだろうか。あらためてその実態に迫ってみたい。(続く)

■本稿は昭和史研究家・田々宮英太郎氏が平成15年に現代史懇話会の機関誌112号に四部作にわたって解明した力作。翌年の平成16年に氏は死去。氏の著作としては次の様なものがある。

『神の国と超歴史家・平泉澄 – 東条・近衛を手玉にとった男』 雄山閣出版 2000年
『権謀に憑かれた参謀辻政信 – 太平洋戦争の舞台裏』 芙蓉書房出版 1999年
『検索!二・二六事件 – 現代史の虚実に挑む』 雄山閣出版 1993年
『参謀辻政信・伝奇』 芙蓉書房出版 1986年
『中野正剛』 新人物往来社 1985年
『二・二六叛乱』 雄山閣出版 1983年
『橋本欣五郎一代』 芙蓉書房出版 1982年
『裁かれた陸軍大将』 山手書房 1979年
『吉田鳩山の時代』 図書出版社 1976年
『昭和権力者論 – 激動50年の政治権力史』 サイマル出版会1972年
『昭和維新 – 二・二六事件と真崎大將』 サイマル出版会 1969年
『人われを異端と呼ぶ – 昭和史の人間ドラマ』 富士新書 1967年
『大東亜戦争始末記 自決編』 経済往来社 1966年
『日本の政治家たち』 路書房 1965年
『昭和の政治家たち – 日本支配層の?幕』 弘文堂 1963年
『新・政界人物評伝』 中央経済社 1958年
『鳩山ブームの舞台裏 – 政治記者の手記』 実業之世界社 1955年

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です