米極秘文書「北方四島は日本保持」   古沢襄

■ソ連は諜報を駆使、スターリン熟読

「北方四島は第二次大戦の結果、ロシア領になった」と主張するロシア側の根拠は1945年2月のヤルタ密約である。

産経新聞は当時のルーズベルト米大統領が米国務省の報告書を無視して、スターリン・ソ連首相とヤルタ会談で「南千島(歯舞、色丹、国後、択捉の4島)」の割譲を約束した事実を明らかにした。

米軍は日本本土上陸作戦(ダウンフォール作戦)になると、日本軍の抵抗で50万人の米兵士が犠牲になると推定、ルーズベルトは「背後」からソ連の参戦を望んだのが根拠となっている。

しかしヤルタ密約は、連合国首脳が交わした軍事協定にすぎず、条約ではないため国際法としての根拠をもっていない。

共和党アイゼンハワー政権は1956年、ヤルタ秘密議定書は、「ルーズベルト個人の文章であり、米国政府の公式文書ではなく無効」との国務省声明を発表。2005年にはブッシュ大統領が「史上最大の過ちの一つ」と批判している。

 ■「ヤルタ密約」で主導権

あす7日は北方領土の日。先月31日の日露次官級協議でロシア側は「北方四島は第二次大戦の結果、ロシア領になった」との従来の主張を繰り返した。

ロシアが北方四島領有を正当化する根拠としてきたのが1945年2月のヤルタ会談で交わされた「ヤルタ密約」だ。

会談直前に米国務省は「北方四島は日本が保持すべきだ」との報告書を作成しながら、ルーズベルト米大統領は一切目を通さず、逆に事前に入手したソ連のスターリン首相が熟読し、ルーズベルトが国務省の進言に従わないことを奇貨として、主導権を握って巧みに北方領土を奪ったことはあまり知られていない。(産経・岡部伸)

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 ◆ルーズベルト無視

国務省はクラーク大学のブレイクスリー教授に委嘱して千島列島を調査し、44年12月に「南千島(歯舞、色丹、国後、択捉の4島)は地理的近接性、経済的必要性、歴史的領土保有の観点から日本が保持すべきだ」との極秘報告書を作成、ヤルタ会談前にルーズベルト大統領とステティニアス国務長官に手渡した。

ワシントン・ポスト紙の元モスクワ支局長、マイケル・ドブズ氏が上梓した近著『ヤルタからヒロシマへ』によると、スターリンは「盗聴報告のほか、スパイがもたらす米国の説明文書も目にすることができた。共産主義の崩壊後、彼の個人ファイルにはクリール諸島(千島列島)のソ連への割譲に反対する44年12月の米国務省作成の内部文書が含まれていることが分かった。

ルーズベルトはこうした問題で自国の専門家の見解を読む気にならなかったが、スターリンはあらゆる微妙な綾までむさぼり読んでいたのである」。そして「ルーズベルトが国務省の助言に従わないことを喜んだ」という。

またスターリンは往年の覇気を失ったルーズベルトの病名がアルバレス病(動脈硬化に伴う微小脳梗塞の多発)で、精神がもうろうとして正常な判断ができないほど悪化していたことを正確に把握していた。

スターリンは、インテリジェンス(諜報)を駆使してルーズベルトと米国を丸裸にして、南樺太同様に「北方四島も日露戦争で奪われた」とルーズベルトを欺いたのである。

では、なぜルーズベルトは国務省の進言を無視したのだろうか-。

米軍は日本本土上陸作戦(ダウンフォール作戦)になると、日本軍の抵抗で50万人の兵士が犠牲になると推定しており、「背後」からソ連の参戦を望んだためだ。この当時は原爆が完成していなかった。

米国は1941年4月、モスクワで日ソ中立条約を締結した際、スターリンが松岡洋右外相に「条約締結の見返りに千島列島の譲渡」を要求した、との日本の外交電報を傍受、解読していた。北方四島を含む千島列島に領土的野心を燃やすスターリンの歓心を買おうとしたともいえる。

ソ連に大きく譲歩する合意に再考を促したハリマン駐ソ大使に対し、ルーズベルトは「ロシアが対日戦の助っ人になってくれる大きな利益に比べれば、千島は小さな問題だ」と進言を退けたという。

ルーズベルトの背後で暗躍したのがソ連のスパイたちだった。ルーズベルト政権には200人を超すソ連のスパイや工作員が侵入していたことが米国家安全保障局(NSA)の前身がソ連の暗号を傍受・解読したヴェノナ文書で判明している。

側近としてヤルタに同行したアルジャー・ヒスもその一人で、ソ連の軍参謀本部情報総局(GRU)のエージェントだった。

ステティニアス国務長官の首席顧問としてヤルタに随行したヒスは、国務省を代表してほとんどの会合に出席し、病身の大統領を補佐した。

会談19日前、米国の立場に関する全ての最高機密ファイルと文書を与えられ、ヤルタ協定の草案も作成している。そこで北方四島を含む千島列島引き渡しのアウトラインを描いた可能性が高い。ルーズベルトが国務省文書を一顧だにせず北方領土を引き渡した背景にスターリンの意をくんだヒスの働きがあったといえる。

 ◆プーチン氏も踏襲

このヤルタ密約を根拠にソ連は、北方四島を占領し、現在も後継国家ロシアは「第二次大戦の結果、自国領になった」と北方領土を領有する歴史的正当性を主張し続けている。

プーチン大統領も「ロシアが積極的な役割を果たして達成したヤルタ合意こそ世界に平和をもたらした」と評価し、31日の日露次官級協議でもヤルタ密約をサンフランシスコ講和条約、国連憲章の旧敵国条項などとともに根拠にあげたもようだ。

しかし、そもそもヤルタ密約は、連合国首脳が交わした軍事協定にすぎず、条約ではないため国際法としての根拠をもっていない。

さらに当事国が関与しない領土の移転は無効という国際法にも違反しており、当事国だった米国も法的根拠を与えていない。

共和党アイゼンハワー政権は1956年、ヤルタ秘密議定書は、「ルーズベルト個人の文章であり、米国政府の公式文書ではなく無効」との国務省声明を発表。2005年にはブッシュ大統領が「史上最大の過ちの一つ」と批判している。

「ヤルタ密約」が招いたのは北方領土問題だけではない。中国、北朝鮮などアジアに共産化を引き起こした。

8日ロシア南部のソチで日露首脳会談が行われるが、北方領土問題の原点ともいえる「ヤルタ密約」を克服して国際的に合法な国境画定ができるかが鍵となりそうだ。

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【用語解説】ヤルタ会談

昭和20(1945)年2月4日から11日、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、ソ連のスターリン首相がソ連領クリミア半島のヤルタで会談し、ルーズベルトは、スターリンに日ソ中立条約を破棄してドイツ降伏3カ月後に対日参戦するよう要請。

見返りとして、北方四島を含む千島列島、南樺太、満州(中国東北部)に日本が有した旅順港や南満洲鉄道などをソ連に与える密約を交わした。ソ連は密約を根拠に、終戦間際の8月9日、満州、千島列島、樺太に侵攻し、北方四島を占領した。

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【用語解説】北方領土の日

1855(安政元)年2月7日に日露和親条約が調印され、日露間の国境を「択捉島とウルップ島の間」に画定したことから、北方領土問題に対する関心と理解を深め、全国的な返還運動の推進を図るため同日を「北方領土の日」と定めている。(産経)>

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