「沢内年代記」を読み解く(二十)  高橋繁

文化七年 庚午(カノエウマ・・・1810年の記録)  
☆廻戸川の殺人  ☆馬の競り市の上納金なし  ☆奥州南部何郡の何村と名乗れ
①米の作柄は上作。課税割合は昨年と同じ、安永四年(1775)の元歩であった。大豆、小豆下作。粟は上作。御代官 多田専右エ門、沖伝右エ門。入石(他領からの買い入れ米)一升(1.5kg)の値段三十五文(875円)であった。
②十二月二十三日。秋田稲庭(いなにわ)の太吉という商人が仙台からの帰り、廻戸川(まっとかわ)で一緒にいた者に殺された。この事件は結局「フギタオレ」(吹雪のために歩行できずに疲労のために死ぬこと。「吹雪倒れ」と記すのが一般的であるが、記録者は「風」の部首から「虫」を取り去り、代わりに「雪」を書き込み「ふぎ」とルビをつけている。造字である。)ということで処理された。

続きを読む

東北蝦夷の誇りをもっていた藤原清衡 古沢襄

父・古沢元の故郷である岩手県沢内村を訪れたのは1982年、28年も昔のことになる。少年時代を母の実家がある長野県上田市で過ごしたので、岩手県は未知の世界であった。この年の2月に母が亡くなった。死に水をとりながら、母と父の遺稿集を出そうと思い立った。シベリアで果てた父の墓は川崎市に建ててある。

続きを読む

四散しても末裔を残した安倍一族の系譜 古沢襄

天孫族に抵抗した北の王者の頭領・安倍貞任は、厨川柵(盛岡市)で戦死して一族は四散したが、その末裔は歴史に名を残している。私の小学校は東京・新宿区の愛日小学校といったが、仲の良い同級生に広沢中任(なかとう)さんがいる。兄は高任(たかとう)さん、弟が末任(すえとう)さんの三人兄弟。

続きを読む

幻の中世都市・十三湊と興国の大津波 古沢襄

1987年7月末に安倍晋太郎氏が画家の岡本太郎氏と一緒に訪れた青森県五所川原市は、作家・太宰治の生まれ故郷だが、幻の中世都市・十三湊としても有名である。1340年に起こったとされる興国の大津波で一瞬のうちに壊滅したと伝えられている。

続きを読む

あらはばき神と安倍晋太郎氏 古沢襄

安倍晋太郎氏が亡くなって19年間の歳月が去った。秘話になるが、1987年7月末に晋太郎氏は洋子夫人と息子の晋三氏を伴って、青森県五所川原の石搭山・荒覇吐(あらはばき)神社に参拝している。同行したのは画家の岡本太郎氏。

続きを読む

「沢内年代記」を読み解く(十九)  高橋繁

文化二年 乙丑(キノトウシ・・・1805年の記録)  
☆藩主利啓公従四位に叙せらる
①屋形様(南部藩の殿様・第三十六代利啓公。屋形は利啓公の号で、私称にして使用は領内に限られる「南部史要」)は「四品の御位」(しほんのおんくらい・令制で定められた親王の位、一品から四品まであった。)となる。「南部史要」には、「十二月十六日公従四位下に叙せらる。時に年二十三、古例によるに四位に上るは年四十以上なるも、公蝦夷地警護の功あるため特にこの栄進あるたるなり」とある。

続きを読む

井尻千男『明智光秀 正統を護った武将』 宮崎正弘

信長が合理主義の近代をひらき経済自由主義者だったという妄説を駁す。明智光秀は謀反人ではなく義挙をとげた悲劇のヒーローではないのか。

正統とは何か、歴史とは本質的にいかなる存在か。なぜ正統なる価値観が重要なのか?歴史と正面から向き合い、国家の自尊をもとめて行動する知識人=井尻千男氏は主権回復国民運動の中枢を担い、歴史認識の正論を国民に問うために戦い続ける。

続きを読む

「沢内年代記」を読み解く(十八)  高橋繁

寛政十一年 己未(ツチノトヒツジ・・・1799年の記録)  
☆八月十九日大風(台風)吹き荒れる。  ☆下前川の橋架け替えなる。
①米は上々の出来具合であった。課税は安永四年(1775)の元歩より二歩増し(「巣郷本」「白木野本」「草井沢本」。「下巾本」だけが「一歩増し」となっている。)
②御代官 澤田宇右エ門、葛西市右エ門入石(他領より買い入れた米)一升(1.5㎏)は三十六文(1.080円から1.800円)であった。

続きを読む